最近、地元のバッティングセンターが閉店したというニュースが飛び込んできました。
実家のある街でも、大学時代アルバイトでイライラした時に通ったバッセンがとっくの昔に閉店となり、跡地には携帯電話の店が立っています。
野球経験ゼロの私でも、行ったことのあるバッティングセンターを一冊にまとめるという
奇特な本を見つけたので、早速読んでみました。
バッティングセンターの色々を集めた一冊
この本、日本中+αのバッティングセンターを訪ねて、オーナーに「バッティングセンター(以下バッセン)のよもやま話を聞こう」という面白い趣旨の本です。
著者によるとバッセンって日本独自の施設らしく
その登場は昭和40年に日本初のバッセン「楽天地バッティングセンター」がオープンしてから。
これがバカ受けして全国に広がります。
さらに当時のボウリングブームにも乗る形で、新設が増えて
ボウリングブームの時は順番待ちの人(親世代に聞いたら、早朝や深夜にもボウリングに行ってたらしい)にお金を落としてもらう設備として敷地内に併設されたり
ゲーム台を置いたり、テレビ番組で的あての「ストラックアウト」が注目されると取り入れたり
何回かのブームが訪れます。
しかし、現在は施設の老朽化で漸減といった状態になっている。だけどバッセンは相変わらず残っているという面白さが分かります。
ただ球を打つだけでなく世代間コミュニケーションの場に
昭和40年代に爆発的に増えたバッセンだから、最初期に利用した野球少年は
もう還暦はとうに超えています。
彼らが野球をする子どもたちを連れて、球の打ち方を教えるためにバッセンに来たり、孫を連れてきてなんてことも珍しくないわけです。
そこにいるオーナーにしたって、親には話せないような悩みも話せるおっちゃんだったりして、ただ球を打ち返すだけの場でなくなったところが面白いですね。
そしてまた、オーナーがそういった志向のところが地元に根付いて、今も活動している。
最難関はオーナーの世代交代。
これをクリアしたところがまた残り、バッセン文化が継承されている一方、単独での事業としてはうま味が少ないので、あらゆる形(レストラン併設とか、ラウンドワンみたいな複合施設の一つ)でその存在が残されているのが実に面白いなと。
使命感をもってバッセンをやってる姿がホントイイ!
バッセンって基本儲からないらしいというのは、この本を読んでいると薄々分かるんですが、それでもなぜ続けるかという問いに
オーナーたちが答えることが「使命感」だったりするんですよね。
東日本大震災で家族を失った後、生き残った息子にバッセン作ると約束し、3年後に実現させた「気仙沼バッティングセンター」の千葉清英さんの話とか読んでいると、ホント切ないくらい、いい!
帯に彼の言葉が引用されているんですが、まさに日本版フィールド・オブ・ドリームスです!
私の周りで、震災で亡くなった人たちは、みんな尊敬に値する人達ばかりでした。それでもあんな死に方をしてしまう。自分が死ぬ瞬間に人生を振り返ったとき、バッティングセンターを作らなかったことを、きっと後悔すると思ったんですよ。
巻末には、著者と電気グルーヴのピエール瀧の対談があるんですけど、彼もバッセンを愛してやまないひとり。彼のバッセン感がまた、何とも言えず、いい。
お客さん誰もいなくて、
照明がじわーって滲んでいて。
バッティングセンターって
暇なやつとか寂しいやつを
受け入れてくれる場所だよね。
ホント、本質捉えているよなぁと。
…バッセンって、ブログ主のようなインドア系でも、
最初はバット逆さに握ってるようなやつでも
行けるくらい身近な場所だったんですよね。
酔っぱらって、コンチクショーと社長の悪口はきながらガツーンといい当たりしたりとか、そういう人も入っていける場所なんですよね。
バッセンに興味のある人、ない人にかかわらず…また、日本人の人生観なんてこともちょっと触れてくる案外深い本なんで、ご興味のある方はぜひご一読を!!
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