私事ではございますが、この記事を書いているブログ主、3日前から断酒中です。
キッカケとしましては…「オレ毎日飲んでて、いつでも止められる…よね」とにわかに不安になりまして、それで。
一昨日の夜はムリヤリ早寝で寝てしまい、昨日もさっさと寝てしまいました。
なかなか寝付けないけど、その辺はなんとか「ナイトキャップ」抜きで眠れるようにしたいな、と思っております。
昭和天皇、5歳でお酒初体験
1901(明治34)年に生まれた昭和天皇が、5歳のとき。「お正月に侍医に勧められてお屠蘇を飲んだら身体の具合が悪くなって、寝正月になってしまった」と
1976(昭和51)年8月23日の記者会見で苦笑気味に語っておられます。
昭和天皇はお酒が体質的にまったくダメで、酒粕で漬けた「奈良漬け」も厳しい。
弟の秩父宮殿下、高松宮殿下は飲めたということですから、ピンポイントで昭和天皇だけに出た、下戸の体質だったようです。
側近の中には「戦前戦中のご心痛をご酒で紛らわせられたら…」と心配したほどで、匂いを嗅ぐのがまぁ精いっぱいというところでした。
天皇ですから、無理強いされて酒を飲んだアルハラ経験はもちろん、ましてひどい二日酔いに…というのは全くご経験がない。
まして、周りの人間も、おそれ多くも天皇陛下の前で大酒を飲んで新橋の駅前でごきげんになっているオジサンみたいな人
宮城(きゅうじょう、現在の皇居)にはいない…はずなんですが
この珍獣が、ついに昭和天皇ご拝謁の(不)名誉になる日がやってきました。
女官に勧められて、酒好きの侍医が泥酔…
これは藤田尚徳侍従長が自著「侍従長の回想」(講談社学術文庫)で披露していた「伝説」です。
…ある御内宴(インフォーマルな飲み会)での話、日ごろから酒豪で通っていた侍医が、女官たちに勧められるまま、盃を重ねて泥酔してしまった…
宮殿の侍従詰所までなんとか下がったが、もはや一歩も歩けないくらいにベロンベロンとなり
ソファに横になると、大いびきをかいて眠ってしまったそうだ。
タイミングがいいのか、悪いのか…侍従の詰所には陛下もよく顔を出す。その日も、陛下は何気なく詰所まで行くと
ふいごのような大きな唸り声が聞こえてくるではないか!?
不思議に思った昭和天皇は詰所をのぞき込むと真っ赤な顔で大いびきをかく侍医が。
お酒が苦手だから侍医の身体から発散される酒気がますます異様で、心配になった陛下は、そばにいた徳大寺実厚侍従に「これは、病気ではないか」と心配げに語りかけました。
徳大寺さんはゴーゴー、グーグー、ガーガーと唸り声をあげている侍医を見て、
「いえ、酔っているのでございますから、酔いがさめれば、風に吹かれて正常に戻りましょう」とケロッとして申し上げた。
「そうか(´・ω・`)。それならよいが…酒に酔うと、こんなになるのか」とポツリ。
陛下は珍らしそうに、再び侍医の顔をご覧になった。”天覧”をたまわった朱塗りの顔は、なおも大鼾をかいていた。
御前で深酒をする者は、もちろんいないから
陛下は本当に酔った者の姿を、それまでご覧になることがなかったのかも知れないが、病気ではないか、というご質問には巧まざるユーモアがひそんでいる
と藤田侍従長は書き残しています。
これはいつの話なのか?
わたし、以前これをX(旧Twitter)で披露した時、別の本から探して「戦前の話」ということで紹介したのですが、
戦前といっても20年あります。まして藤田侍従長は昭和19年に就任しているので「戦争中に深酒して大鼾、ってちょっとタイミングが変だなぁ」と違和感を感じていました。
それで、今回オリジナルのテキストを読んだので、ヒントになりそうなのが、昭和天皇に「侍医は病気ではないのか」と尋ねられた徳大寺侍従。
このお方が侍従になったのは1932(昭和7)年。5年後の1937年には貴族院の議員になっているので、侍従の仕事はおやめになられているだろう…とおおよその検討を付けました。
日本が明仁親王のご誕生で明るくなったのが、1933(昭和8)年。2・26事件で世間が騒然となったのが1936(昭和11)年ですから、その頃の話と考えられそうです。
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