能條純一『昭和天皇物語』第6巻の小ネタ集

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昨日、近所のコンビニに行ったら『昭和天皇物語』の第6巻があったので、早速購入しました。

この記事では、あらすじよりも、マンガでは描かれない部分にフォーカスをしぼってみようかなと思います。

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節子(貞明)皇后の獅子奮迅ぶりがスゴイ!

この巻は関東大震災から、物語が始まります。

大正天皇が病のため執務不能になり、皇太子裕仁殿下が摂政に就任した矢先の出来事でした。

皇后節子(貞明皇后)は、床に臥す大正天皇を残し、帝都に引き返します。被災した人々を見舞い、勇気づけるのが「国母」たる自分の役割。

天皇が動けない今は自分が頑張るんだと。

このマンガは一部フィクションも含まれている旨は巻頭で書かれているのですが、

おそらく貞明皇后の心中はこれに近かったと思います。実際、彼女は住まいである宮城(現在の皇居)に戻らず、直接被災地を訪れ、精力的に動き回ります。

また、この巻の終盤では、後の秩父宮の結婚が語られますが、皇后はかつて「朝敵」の汚名を着せられた会津の松平容保の孫、

松平容保公

松平節子に白羽の矢を立てました。

明治維新の後、会津の人は「賊軍」として大変肩身の狭い思いをし、また多くの辛酸をなめていました。

その孫娘を皇室の嫁に迎え入れる、というのは当時でも驚きをもって迎えられたことは想像できます。しかし、話通りに貞明皇后がこの結婚を勧めた人間だとしたら、

維新以来のわだかまりを、2代かけて統合しなおすという「国母」の意思とも取れて、非常に興味深いです。

関東大震災とその後の都市計画

また、摂政の宮である皇太子裕仁も、その惨状をつぶさに見て回ります。

そして、後藤新平から「バルセロナ」をお手本にした復興プランを提示されます。

そのプランを立案するのが、我が埼玉県が誇る本多静六博士!

本多博士は日比谷公園、神宮の森の設計も手掛けていました。

震災前の防災機能が脆弱だったことから、ゆったりとした公園の多い都市を復興する帝都に計画しました。

本多博士のはじき出した復興予算額は、41億円。

現在の額に直すと、14兆4千億円という超巨大プロジェクトでした。

もちろん、この予算がすべて通ったわけじゃないのですが、この時に作られた都市計画が、後の東京のひな型になり、現在に繋がってくることになります。

昭和天皇と「ひげ」

関東大震災というとんでもない大災害が発生したことで、裕仁皇太子の結婚が延期となりました。

また、結婚の祝賀行事もささやかな形になります。

 

ところで、結婚後裕仁皇太子は「あること」を始めます。

それが分かるのは、次の一枚。第一子である照宮成子内親王誕生後のお写真です。

分かりますかね、「ひげ」をたくわえはじめたってことです。

私なんかは、ひげのある昭和天皇しかしらないのですが、昭和天皇自身が「成婚の記念に」とインタビューで答えていました。

ちなみに、現在の皇族でヒゲと言えば、秋篠宮殿下ですが、

 

生前の昭和天皇は「礼宮(秋篠宮)のひげは何とかならんのか?」とおっしゃられたとのこと。

私自身は「かっこいいから、いいんじゃない?」と思うのですが、

ご自身、結婚後にひげをたくわえたことから、成婚後ならば文句を言われなかったかもしれません。

ちなみに秋篠宮ご夫妻は昭和天皇の喪が明けた平成2年に結婚されています。

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