川口松太郎『一休さんの道』上巻読了

読書メモ

この記事では、川口松太郎さんの『一休さんの道』について書いていきます。

中学校の頃、父親の本棚から引っ張り出して読んでいた思い出の一冊ですが、

先日、思い立って一休さんシリーズをAmazonで購入。読み直して改めて惚れ直しています。

ちなみに、前作の『一休さんの門』とは時間線でつながっている物語ですので

お読みになる方は『門』からにされるといいと思います。

本作の書き出しをザックリと説明!!

さて中年を迎え、最愛の母親の死を乗り越えた一休さんですが、

そこに現れたのは、昔自分の庵室に迷い込んできた元浮浪者。

今は堅気になって、似顔絵を描いて生計を立てているということで、描いてもらった絵がひと騒動を起こすことに。

彼は、もはや劣勢が覆ることもなくなった、南朝の遺臣。

「昔の栄光よもう一度!」と思っていても、武力差をひっくり返すことなどできるわけもなく、

天皇のウサギのおもちゃを盗んでみたり、御所に放火して留飲を下げてるくらいしかできない。しかし、その南朝の関係者から一休の絵が見つかったから、さあ大変。

元々、坊主だというだけで、北朝も南朝も関係ない!という一休さんですが、

「あいつは南朝の肩を持ってる!」と誹謗中傷されます。

世間の評価なんて、気にしない!

この件に限らず本を通して感じるのは、世間の評価のいかにいい加減なことか、ということ。

一休さんは、困っている人がいれば助けるし、飢える人が都にあふれれば金持ちの協力を仰いでお粥の炊き出しもやる。流行り病が蔓延したら、死者を弔うためにお墓を作る。

だから、一休さんは「生き仏さま」と名声が上がる。

ところが、自分の庵室で酒を飲んで宴会している姿を隠さないから

名声をねたんだ人間からざれ歌を作られて、庶民の評価は生き仏さまから堕落坊主に。

昨日までほめそやしていた人間が光の速さで手のひら返しをする姿は、妙に興味深く感じます。

弟子たちは、慕っている師匠への、手のひら返しに腹を立てますが、

一休さんは、何にも変わらないし、気にしない。

一人の僧として、もっと言うと人間としてどんな人とも誠実に接する。

だから、普段人間扱いされない遊女たちにも慕われて、彼女たちの難儀も助けるのですが、それがまた一休非難の種にもなる。

だけど、(何回も繰り返すけど)全然気にしない。そんな人柄が、読んでてホント惚れ惚れとするんですよ。

年齢を重ねて、成熟の域へ!

前作『一休さんの門』の時には30代で私よりも若かった一休さんも、今作では50代。

若いころは山賊退治をしたりと大分、荒っぽいこともしたけど、

今作では、出会いと別れを繰り返す展開が繰り広げられます。

まず最大の親友、蜷川奉行が仕事中に重傷を負い、あっけなく亡くなります。弟子たちも徐々に年齢を重ねてきて、一休のために働いていますが、一休さん本人は弟子たちのために道を付けようとします。

当時は50といえば、晩年ですからね。

また、唯一の妻であり、最愛の人物のおくろには、姉か母親のように甘えるすがたがより可愛くなります。

たまに一休さんがヘンな噂を立てられると、おくろさんから「しっかりしなさい!」と叱られますが、一休さんは「ごめんなさい」と頭を下げる。

中年になって思うのですが、

叱られた時にこんなに素直に頭を下げられるかな私は…と思ってしまいます。

避けられない「大事な人との別れ」を追体験し続ける

話が進むにつれ、母親、蜷川奉行と大事な人を失っていく一休さんですが、

下巻では、最愛の妻との別れが待っています。

私も40代になり、子どもの頃にお世話になったり、叱ってくれていた人が次々とこの世を去っていくようになってきました。

時は、刻々と流れますし、去る人が出る一方で、新しい出会いもある。

ただ、徐々に自分も無条件に明日を迎えられるという盲信はできない年になっていきます。

この小説の面白いのって、自分よりも若い人が、自分を一気に追い越して、出会いと別れを繰り返し

自分も確実に死に近づいていくという中で、

「どう生きたらいいんだろうな」って自分を省みながら、楽しい物語を読ませてくれるところなんですよね。

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