川口松太郎『一休さんの門』を各時代の自分がどう読んだかを比較してみる

読書について

先日、ツイッターでやり取りしてたら、無性に昔読んだ川口松太郎の『一休さんの門』が読みたくなりました。10代、30代と読みましたが、徐々に作品の見え方が変わっていくのが面白かった。

10代は、ひたすら痛快な作品と取った

この本、中学生の時に父親の本棚から失敬して読み始めたのが初体験。

昭和58年~59年に読売新聞で連載されていたそうです。

文庫化され、それを父親が購入。そのあと私の手に渡りました。

主人公の一休宗純(物語開始時は34歳)の生き方が爽やかで弱いものを助けるすがたに心の中で喝さいを叫んでいました。

飢える人のためにお粥を炊き出したり、出会った人の災難を救ったり。

かっこいいなぁと思っていました。

30代は、人の評価なんていい加減だ!というテーマに読めた

これが30代になって読み直すと、ちょっと変わっておりまして…

確かに、一休さんは嘘偽りない、まっすぐな人生を生きているけど、周りがそうは取らないという方向に読めてきたんです。

飢える人たちを救うためにお粥を炊き出し、「生き仏さま」とあがめられたと思えば

遊女屋に上がって酒を飲んでいるのを「生臭坊主」「破戒僧」と手のひらクルー…

でも、一休さんは人の評価を気にしない、嵐が過ぎるのを待つように旅に出て、行く先々で出会いがあったり人助けをしたり、相変わらずなんです。

評価は人さまがするもの。くるくる変わるのが当たり前。

 

今から思うと、社会に出て、会社で働きだすと

人に評価されることが増えてきます。ムチャクチャ理不尽なこともあったりしますし、「あれ?そんなことで?」と評価されたりもする。

しかも、自分の関知しないところで。

自分のなかで、「評価ってなんなんだろ?」って問題意識が芽生えたんでしょうね。

で、今回42歳が読むとどうなったか?

いつの間にかボロボロになって、やむなく捨てた『一休さんの門』

でも今は、Amazonというものがあるので、絶版本も比較的簡単に入手できます。

42歳で読んだら、どう印象が変わるんだろう?と興味津々で読み始めました。

まず、ついに私が主人公の一休宗純の年齢を超えたこと。

これまでは、おじさんだったり、年上の先輩的なイメージを持ってたのが、「あ、若いね…」と思えるようになりました。

父親の後小松法皇が、自分の母親をちっとも顧みない(一休の母親は昔スパイ扱いされて御所を追い出され、一休を産んでいる)と息子の立場から感情的になるものの、

両親にも思うに任せぬ事情があって、父親は父親で苦しんでて、

母親は母親で、恨むどころか後小松法皇のことを心から慕いつつ、息子を生きがいに淡々と生きていく姿に「こういうことって、あるよな」。ってしんみりしちゃった…

また、悪党に骸骨問答(死ねば人間みな骸骨)を説いたそのあと、「母上は長生きしてほしい」と言っちゃう人間臭さ。

40代の私から見る30代の一休はやっぱり、年相応の粗削りなところがあります。行動にけれんみを感じさせるところもある。

スタートラインが一休さんが34で、私が42。

読み進めるうちに再び一休さんは私よりも年上になるのですが、その過程でどう見方が変わってくるのか、それが非常に楽しみです。

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