若い時から天才的!先輩たちに引き上げられる「人たらし」六代目三遊亭円楽の若手時代エピソード

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この記事では、六代目三遊亭円楽(1950~2022)が生前に語った人たらしエピソードを集めてきました。

人たらしというと、悪い意味で語られるニュアンスでもあるんですが、円楽師匠の場合は利口さと可愛さ、性根のバランスが絶妙で、それゆえに師匠連にもかわいがられ、自分の力をつけるとともに

後年は若手を引き上げる師匠としても活躍、落語界の発展にも力を尽くしました。

今回はそんな師匠の話の中でも、大学時代のアルバイトで始めた付き人時代~弟子入りして2つ目になったあたりの若手時代を中心にエピソードを集めてみました。

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自分の名刺で師匠をヨイショ!

付き人のアルバイトをしてた大学生、會通泰くんは5代目圓楽師匠から「仕事をしていたら名刺のひとつもないと困るだろう。ここで作ってこい」と言われて名刺を作ることに。

ただの名刺を作っても面白くないから、師匠をヨイショしつつ他の人に自分を売り込もうと

キャッチコピーを練りに練った。

それで出来た名刺が「名人圓楽の懐刀 會通泰」

…完成品を見た圓楽師匠は「お前、懐刀の意味を知ってるのかい?」と聞いたものの「名人圓楽」には突っ込まなかった、という。

プロ仕様で大学生落語大会をブッチギリで優勝

先代圓楽師匠の「付き人」のアルバイトをしながらも、青山学院大学に通う大学生「會泰通」だった頃の話。

さっきも言ったけど当時、弟子を増やすなという協会の方針だったんで弟子を名乗れなかった。

でも、事実上の弟子だからと圓楽師匠から、プロ仕様の落語を教わっていた。

ある時、放送局の企画で大学生落語大会を開くことになったんだけど「青学から出れる人いないから會くん出てよ」といわれて学生として出場した。

審査員として来てたのが、桂歌丸師匠、三遊亭小圓遊師匠で、顔見知りだから挨拶したら

「…あーた(表向きは弟子じゃないけど)もうこっち側なんだから」と突っ込まれた(笑)。

で、圓楽師匠から教わったプロ仕様『たらちね12分バージョンをやったら

審査員長だった八代目桂文楽はキッチリ作りこんだ落語が大好きな師匠で「ようがす!無駄がない」と激賞。

歌丸さん、小圓遊さんは大先輩である「黒門町の師匠」にそこまで言われるとさすがに何とも言えず、そのまんま優勝(笑)。

で、圓楽師匠に出場を報告したら「で、結果は…ふーん、優勝ね。それならいいや」とニヤリ。

惣領弟子ではないが、大師匠から「楽太郎」と命名される

まだ本名の會泰通くんで五代目圓楽師匠の付き人(当時、弟子を増やすなという協会の方針だったんで弟子を名乗れなかった)だった頃。

いつものように仕事のために寄席に向かうべく交差点で信号を待ってたら

肩をトントンと叩かれた。振り向いたら圓楽師匠の師匠三遊亭圓生だった。

「若旦那、どちらまで?」と気さくに声をかけて「じゃ」と立ち去った。

フツー、大師匠が孫弟子に気安く声をかけるなど、ありえない時代。「大師匠なんてすごい人だろ?声をかけられてスゴイビックリしたよ」とは生前の円楽師匠が振り返ってた。

どうやら人一倍気の利く孫弟子はかわいかったらしく、弟子入りが正式に決まった時、ふつうは惣領弟子に使う「太郎」を付けて楽太郎と命名したのは、圓生師匠。

「(惣領弟子の)楽松には自分の本名(山崎松尾)から一文字あげたから、この子に楽太郎をやろう」とのこと。

缶ピース、その1

念願かなって弟子入りを果たすと、三遊亭楽太郎は超気がきくと、ベテラン師匠連に可愛がられていた。

ある時、当時タバコを吸っていた桂歌丸師匠が缶ピースを切らしてしまい、楽太郎さんが買い物に行ってくることになった。

しかし、缶入りピースは当時でも結構扱う店が限られてて、近くの店では中々見つからない、

すると、楽太郎さんは「箱入り」のピースを買って来て「味が似ているんでコレで間を持たせてください」と歌丸師匠に手渡して

その間に遠くの店へ缶ピースを買いに行き、缶ピースを手渡した。

缶ピース、その2

別の日の話。缶ピースを買いに行くのは大変だからと、コッソリ買っておいて持っていた楽太郎さん。

頼まれると、お使いに行くふりをして飛び出して時計の下で時間を潰し、ある程度時間がたつといかにも全力で走って帰って来たかのようにふるまって「買ってきました」と渡した。

何にもしないで「買ってありますんでどうぞ!」とやると、かえって才気走ったイヤミったらしさが出るからとご自身で話していて、そのあたりは心憎いまでの心理分析。

銀座のクラブで先輩たちから励まされた「了見」とは?

下町育ちの楽太郎さんにとって、銀座は何でもある「夢の場所」だった。

いつかは自分も銀座のクラブで飲んでみたい、と無駄遣いせず稼ぎをせっせと貯めて知ってる人に紹介してもらって、二つ目の時に1人で出かけて行った。

若い子がひとりで飲んでるのを見て、とある紳士が「ちょっといいですか?」と楽太郎さんに話しかけて来た。

楽太郎さんが質問に答えていると

「そう、落語家さん?ふーん、おひとりで?落語家さんは、連れていって貰ってお調子言って、ただ酒飲む人たちだと思ってた」と

楽太郎さんの話を聞いて紳士はいたく感銘を受けた様子。

ひとしきり話した後「どうもありがとう。これからも頑張ってくださいね」とご祝儀を渡して立ち去った。

で、お代を払ったらホステスのお姉さんから、先程の紳士が楽太郎さんの名前でボトルを入れてくれた、と教えてくれて

「でも、次いつ来れるか…」と戸惑う楽さんに「必ずボトルは残しておくから、頑張ってまたいらっしゃい」と言ってくれた。

店を出てご祝儀袋を開けてみたら100ドル札が一枚。

すぐ使える日本の紙幣ではなく「コレが役立つくらい大きくなれ」と激励されたんだ、と楽太郎さんは、えらく感動した、と語ってた。

「楽太郎はなんでもできる」伝説

師匠の三遊亭圓楽の家に弟子の楽太郎が出向いたら、おかみさんが思案顔で「お勝手の戸の具合が悪いの」と相談された。

楽太郎はいらない手ぬぐいで扉を応急処置してから蝶番(ちょうつがい)を外して同じものを金具屋で探してきて付け替えた。

今度は「階段の具合がねぇ」とおかみさん。さっそく自宅から大工道具を持って修繕した。

師匠がその話を聞き、何でもできるやつだと今度は「楽太郎、テレビがつかない」と言ってきた。

ふと見ると、コンセントが刺さってなかったが…とりあえずそこは置いといて、スイッチのチェックをしたりツマミを確認したり

テレビの中を開けて色々チェックするふりをして、中のホコリを掃除をしてから、コンセントを差してスイッチオン!当然テレビはついた。

これには師匠は大喜びで「楽太郎は便利だ、テレビも直せる!」と仲間に自慢していたとか。

ワイなら、コンセント刺さってませんね…と終わらせるのですが、そうすると「コンセントに気づかないアタシがバカといいたいのかい?」とイヤーな思いをさせることになりかねない。

そこを上手に立ち回るのも、利口のうち。

そのうちに圓楽師匠、今度は「楽太郎…あの弟子3人をクビにしておいてくれ」

さすがに「あなたが師匠なんだから、それくらいは自分でやれよ…(´・ω・`)」と思ったとか。

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コメント

  1. とーるちゃん より:

    いい話ですね。私は伊集院さんが師匠に尋ねられた先代が ん。と言って手を出す時はタバコとのど飴どちらを欲っしてるのかなぜ判るのか?の問いに「簡単だよ。手をチョキにしたらタバコ、パーなら飴だよ」のお答えに流石だと感心したのを思い出しました

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