今年も色んな本を読んだのですが、以前詠んだ本をもう一度読むことが多かった気がします。
そんな中でも、一番好きだったこの本を今回ご紹介します。日本経済新聞の「私の履歴書」というコーナーで連載された、元西鉄ライオンズ投手の稲尾和久さんの自伝『神様、仏様、稲尾様』です。
この本が、心地よいお湯に首まで浸かっているような、すごーくいい文章なんですよ。
書き出しからして、のんびりとした調子ながら、ついつい引き込まれるんです。
大分県の湯の町別府は、西の由布岳の山並みと東の別府湾に挟まれるなだらかな坂に開けた街だ。
その玄関口であるJR日豊本線別府駅から、別府湾に向けてまっすぐ降りたあたりを北浜といい5軒ずつの長屋が軒を並べていた。
昭和12(1937)年6月10日のことである。
スズキやタイをリヤカーに乗せて売っていた漁師の妻が、この長屋にさしかかった時、産気づいた。
当時はみんな自宅に産婆さんを呼んで子供を産むような時代。
しかもすでに6人の子の母であったその婦人は、格別慌てるでもなくその長屋にあがりこみ、そこのおばちゃんたちの介添えで男の子を産んだ。
それが私である。
(13ページ)
一切のてらいがなく、内容は至極シンプルでありながら、のんびりした雰囲気が漂う書き始め。
これが一冊の雰囲気をすべて表現していると言っていいと思います。
腕利きの漁師の息子に生まれ、船をこいで父親の助手を務めた少年時代の思い出、
一方で小学校4年生まで、母親のおっぱいを吸っていたと近所の人にからかわれた話や、両親ともに酒豪でこぼれるしずくをペロッとなめた、とか
なんともゆるーいエピソードが挟まっていて、リズム良くドンドン読み進められるんです。
神様仏様稲尾様になる前
まぁ、生まれからプロ入り前までも独特の調子で続くのですが、やはりすごいのがプロ入り後の話。
プロ入り当時はガリガリで、高校時代は「コツ(骨)」と言われるほどだった。
だから西鉄ライオンズと契約したものの、入寮の日に豊田泰光さんから「電鉄の寮はここじゃなか」と言われるくらい「プロ野球選手っぽくない」少年だったとのこと。
でも、キャンプで手動式練習機(要はバッティングピッチャー)として駆り出され、ただ投げるんじゃダメだと、相手をわざと凡退させるような所を狙って投げたりするうちに
「アイツの球は打ちにくい」と三原脩監督に噂が流れ、チャンスをつかむ。そこから頭角を現していく様子もリアリティがあって面白い。
一時、二軍落ちした時の食事の貧弱さで「一軍にいて初めてプロ」と痛感した話や
ちょっと活躍すると、親しい先輩投手までよそよそしくなり「商売敵」と認識される話
一年目のオフ、日本育英会に借りていた高校時代の奨学金を一括で返そうと思ったら「どっかから盗んできたのでは?」と疑われ、冷汗をかきながら説明した話などが挟まれて
後にシーズン42勝する怪物にも、そういう時代があったんだ、と思っちゃう次第です。
神様仏様稲尾様、の後…
そして、西鉄ライオンズが全盛期を迎えます。
その中心にいた稲尾投手もまた、シーズン42勝(ちなみに内訳は先発21勝、リリーフで21勝)の活躍で日本一に貢献。
本人主演で映画化されたり、結婚したり子宝に恵まれたりと私生活が充実。
だけれど、その後は肩の酷使もあって成績が低迷。チームのメンバーも一人去り、二人去り…という中、壊した肩を復活させるべく、あらゆる治療法を試します。
一方で稲尾投手の取ったリハビリ法(?)が目をブン剥くもので「硬球そっくりの鉄球で的あて練習」というもの。
痛みで思うようにいかない肩に、さらに重い球を投げて鍛える?という。
さらに腰を抜かすことに、これで肩の痛みが消えたというから、ムチャクチャなことをするなぁと。
現役最後の5年で、奇しくも全盛期に1シーズンで稼ぎ出した42勝を挙げたのですが、
稲尾さんの感想はあくまでも謙虚で、それがまた漁師の子である稲尾さんらしい表現が、またいい。
順風満帆の人生などありえないだろうし、仮にあったとして、挫折知らずで”ナギ” 続きの航路が本当に幸せかどうか。
あの挫折で私は人の痛みを知ることができた。本当の人情に触れることができた。 鉄腕のままでいたら、私はきっとおかしくなっていた。
カムバック後の勝利数はちょうど昭和36年の一年で稼いだ白星と同じだ。
36年の白星は勢いに乗って無我夢中で投げているうちについてきた。
それに対し昭和40年以降、引退するまでの白星はもがきながら1つずつ、5年をかけてつかみ取ったものだ。
だから自分の中では、最後の42勝が挫折前の234勝に匹敵する宝物になっている。
(199ページ)
「文は人なり」を地でいく一冊
その後は西鉄ライオンズの監督や中日のピッチングコーチ、ロッテの監督を務める稲尾さんですが
ライオンズでは「黒い霧事件」で稲尾に代わるエースとして台頭した池永正明を失い、西鉄がライオンズを手放して太平洋クラブになるなど、辛い時期を過ごします。
しかし、客観的に見て不遇な状態すら淡々と書くのが、稲尾さんらしい。
また、星野仙一投手や村田兆次投手といった、癖の塊のような連中に手を焼いたエピソードを描き、彼らのようなひと癖も二癖もあるピッチャーが「もっといてもいい」と書いているのも面白い。
なにより、(当時は)ライオンズがなくなった古巣の福岡へ、プロ野球チームを再び持っていきたい…という情熱と思いが清々しくも感じられます。
以前、伊集院光さんのラジオ番組で聞いた稲尾さんの素朴で誠実な人柄が、文章の端々から読めて楽しく読了できました。
こういう本こそ、kindleで復刻したらいいのにな、と思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。この記事が面白かったらTwitterリツイートやシェアボタンでの応援よろしくお願いいたします。
コメント