『昭和天皇物語』の重要人物 鈴木貫太郎の記念館に行こう!

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昭和天皇
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昨日紹介した『昭和天皇物語』第7巻で、

昭和天皇は初めて鈴木貫太郎に会います。

そしてのちに太平洋戦争を終戦に持ち込む仕事を成し遂げたのが、

昭和天皇たっての希望で総理大臣となった

この鈴木貫太郎でした。

鈴木貫太郎

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鈴木貫太郎をザックリと説明します。

私は、以前から半藤一利さんの『聖断』を読んで、鈴木貫太郎という方に大変興味を持っていました。

海軍で日清、日露の両戦役を戦い抜き、海軍軍令部長という、トップまで上り詰めました。

その後、昭和天皇たっての希望で降格人事だった天皇の侍従長を務め、

天皇の戦争不拡大の意を身を挺して示しました。

しかし、陸軍内の一部から恨まれて2・26事件で襲撃されます。

この時は一命を取り留めたものの、侍従長を辞職します。

時は流れ、太平洋戦争末期の昭和20年に天皇の意を受け当時77歳の高齢で内閣総理大臣に就任。

彼は昭和天皇と二人三脚で、タイミングを捉えて日本を終戦に導くことに成功しました。

昭和天皇も後に「私と肝胆相照らした鈴木だったからこそ、あの事が出来たのだ」と後に話しています。

彼は晩年、故郷の関宿に戻り地元の農業振興に尽力します。そして昭和23年に逝去。

そして、昭和38(1963)年に彼にまつわる様々な資料を集め、自宅跡に建てられたのが、この「鈴木貫太郎記念館」なのです。

幼少期の昭和天皇の服が面白い

同館の前には

「萬世の為に太平を開く」と書かれた塔が。もちろん「玉音放送」の一節

『萬世のために太平を開かんと欲す』

からです。

そして、やはりというか受付の所に『昭和天皇物語』を館内貸し出しされています。

たしかに昭和天皇の養育係は、鈴木貫太郎夫人の(旧姓足立)たかさんですからね。

館内は撮影禁止になっているので、館内の様子をお見せ出来ないのが残念ですが、

迪宮と呼ばれていた頃の子供服と、たかが養育係のころの「うちき」も展示されています。

子供服はほつれを修繕した跡があったりして

「皇孫」のお召し物でありながら案外使い古された感がします。

よく相撲に興じていた少年時代や、

その頃学習院院長だった乃木希典の教え

「穴の空いた服を着るのは恥ずかしいが、服にツギを当てるのは恥ずかしいことではない」

という質素倹約の精神が仄見えるようです。

インタビュービデオは見る価値あり!

そして入り口近くで昭和40年に録音したという「鈴木たかのインタビュー」の一部(二・二六事件の部分)を見せてもらいました。

これは、鈴木家(当時は、貫太郎さんは亡くなっていましたが、たか夫人が健在でした)と懇意にされていた地元の方が、

当時貴重だったオープンリールテープで録音したものに、

映像と字幕を付けたものです。

この音声の一部はかつて

BS朝日の『昭和偉人伝』でも紹介されてました。

動いていないときは同館のスタッフさんにお願いすると再生してくれます

内容は二・二六事件前日から当日の様子をこと細かく説明したもので、

鈴木貫太郎が寝間着(パジャマ)姿で青年将校たちに対応したことや、

数日前に刀を片付けてしまったので、丸腰だったこと

撃たれた後にたか夫人に

「賊は逃げたかい?」と声をかけたこと

など細かなことまで

端折らずに聞けます。また、録音をされた方が『昭和偉人伝』で語っていたのは

この時のたか夫人は、興奮で顔を真っ赤にして

このインタビューに応じていたそうです。

『貫太郎翁の思い出』は買い!

さて、鈴木貫太郎ファンとして

まだ在庫があったらぜひオススメしたいものは『貫太郎翁の思い出』

と題された小冊子です。

これは戦後70年を記念して

地元の方々の「鈴木貫太郎さんの思い出」を集めて編さんされたもので、

関宿に残された晩年の写真や、思い出話などが満載です。

地元の古老が在りし日の彼を懐かしんでいる様子から、

いかに彼が地元関宿の人々から慕われていたかがよく分かります。

あと、心を打たれたのは、皇后(香淳皇后)から贈られた食器。

その箱の蓋の裏側にこのような文章が書かれていたことです。

皇后様御下賜 終戦の際総理官邸戦火にあい八月十五日暴徒に私邸を焼かれ無一物の折賜う何物にもかへがたき有難いものなり

オリジナル版の『日本の一番長い日』では描かれていましたが、

終戦の当日、鈴木貫太郎は私邸を襲撃隊に焼かれ、間一髪で命まで取られかねないという恐ろしい目に遭いました。

その後も各地を転々として、関宿に落ち着くまでご苦労を重ねられていたのです。

自分のために力を尽くしてくれたと、お見舞いの品を送ってくれた皇室と、

苦難の日々をともに戦いながら終生忠義の念が変わらなかった老臣との心の通い合いに、グッときました。

あと、昭和天皇記念館にも展示されている

白川一郎画伯の「御前会議」「最後の御前会議」は、関宿にあるこちらの絵がオリジナルです。

『御前会議』鈴木貫太郎総理大臣が昭和天皇に聖断を仰ぐシーンです。

こちらは『最後の御前会議』。ポツダム宣言を一条件(国体護持)で受け入れるよう閣僚に諭す昭和天皇です。

記念館近くにお墓もあります

ちなみに、彼のお墓は記念館からほど近い、實相寺にあります。

鈴木貫太郎、たか夫妻が眠るお墓。

右側には、戒名の「大勇院殿尽忠孝徳日貫大居士」とあります。

生前彼が自分で考えた戒名だそうです。

他の人なら「なんと大袈裟な!?」思いますけど。

鈴木貫太郎さんなら、まぁ不思議でもなんでもないですね。

大仕事を成し遂げた彼に似合わないくらい、大きさはフツーのお墓です。

しかし、お掃除が行き届いていて

なんとなくおかしがたい威厳のようなものも感じました。

記念館から車で5分くらいでした。ぜひ記念館を訪れたら、お墓にもお参りに行ってみることをオススメします。

【アクセス】

鈴木貫太郎記念館

所在地:野田市関宿町1273番地

開館時間;午前9時〜午後5時

休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始

駐車場:あり

入館料:無料

實相寺

所在地:千葉県野田市関宿台町2140

駐車場:あり

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