この記事は、以前Twitterで投稿した「皇室の和むエピソード」から明治天皇のものを選んで投稿します。
今の上皇陛下が天皇の時
登山をしていて取材記者がウッカリ天皇陛下を「おとうちゃん」と呼んじゃって周りは一瞬凍りついた
…が、天皇陛下は「おとうちゃんはここにおりますよ」と笑顔で返して
その場一同笑い話で終わった、って。
— とーちゃん(さん付け不要) (@knightma310) October 27, 2021
これが、なんだか伸びに伸びて100を超える投稿になってしまい、ちょっとしたお遊びのつもりでやってたら結構なボリュームになってしまいました。
せっかくだからブログにまとめておくかと思いつき、そうすると人物別がいいだろうと。
まず、第一弾は「明治大帝」とも呼ばれる明治天皇からご紹介します。
女だらけの奥で育ち、超硬派の教育を受ける
1852年生まれの明治天皇は、幼少期は女官たちに囲まれて育ちました。
明治維新後は近代国家の国家元首としてあんまりナヨナヨされても困る…というわけで、ガチハードな特訓を文武両道で実施。
そんな、180度ガラリと変わった教育のたまもので…明治天皇は
「側近の女官たちにマメなプレゼントを贈ってねぎらう女心を心得た人間で、その一方冬には火鉢一つで暖を取り、夏でも服を崩さない超謹厳実直人間」
という、何か知らないけどハイブリッドな性格になられたとか。
甘味をつまみに酒を飲む!
皇室の歴代で、特に酒豪として知られた明治天皇。
明治の元勲たちも元をたどれば下級武士。お酒に関しては決して上品…とはいいがたい。みんなで宴会で酔っ払い、廊下で大の字になって高いびき…という豪快な姿を見て、大らかに飲む習慣がついたようだ。
で、さすがに昼間からは飲まないが、晩御飯の時には日本酒(晩年は糖尿病のため、赤ワイン)を楽しみながら、みんなでワイワイやるのがお楽しみだった。
ちなみに、明治天皇の言葉で「牡丹餅をつまみに酒を飲めないようでは、真の酒飲み」といえないというのがある。
ちなみに食生活は酒好きなのに、蒸し羊羹とかアンコも大好物。アンパンなんかは皆さまご承知の通り。朝食はカフェオレにパン。自由で大らかな食生活だったとか。
ブログ主も酒は好きだが、甘いものと酒を合わせるというのは、胸やけがしそうですな。
東西酒飲み代表が外交目的で「痛飲」
アメリカ南北戦争で北軍の指揮を取ったグラント将軍は大統領にもなり退任後来日もしてる。
この人、バーボンの飲み過ぎで大統領を辞めさせられた、と言われたほどの大酒飲みで
当時の宮城で明治天皇と面会。酒飲み同士で大いに飲んで、両者はすっかり意気投合。
通常接遇って1回が通例なんだけど「お酒が美味しいから」ともう一回席を設けてまた酒盛りした。
この話は、ロナルド・レーガン大統領が来日した時に昭和天皇との話題にも上ってて、あの昭和天皇もニッコニコして、祖父の話をしていたそうです。
扇風機の担当は「鉄道省」
「夏は暑いものじゃ」が口ぐせで、服も着崩さずきちっとしていた明治天皇でしたが、たまたま見かけた扇風機に目が留まり
「これいいな、自分のところでも使えないかな」と側近に研究させました。
担当は電燈会社と共同研究。蓄電池を使い、電気が切れたら「チャーヂ」する形の扇風機を開発し、明治天皇に愛用されることになります。
ところが、明治天皇は使ってる扇風機が電池切れになると、開発者の電燈会社ではなく、なぜか「鉄道省」に連絡して、蓄電池を「チャーヂ」させたんだとか。
これはどうも、最初に扇風機を見たのが電車の中、というイメージが焼き付いてて、それがずーっと続いてしまっていたらしいのです。
奥様の買い物に渋々付き合って、自分が熱中!
奥様の美子皇后の楽しみは、お買い物。
時折宮城の中の一室に、出入りの業者が「文鎮、水差し、小硯、手帳なぞの文房具、懐中七つ道具、がま口、小楊枝入れ…」といった、今の「百均」にあるようなものをズラリと並べた
即席の「お買い物会場」に足を運んだ。
値段はぼったくり価格で、市価の2割増しといったところ。何が欲しいというより、買い物が楽しみというわけで、女官たちも楽しみにしていたそう。
で、皇后は一日の政務が終わった夫、明治天皇に「お買い物にいきませんか?」と声をかけるものの
仕事を終えて、夕飯を食べてリラックスしていた明治天皇は中々腰を上げない。
が、奥様のお誘いもあるし、しぶしぶ出かけていった明治天皇…
が、側近の証言によると、いざ行ってみると結構面白かったらしく、「お買い物」は夜半にまで及び…「多分、いろいろのお買い物があったのだろう」とのこと。
女官にあだ名をつけまくる
明治天皇は「あだ名」を付けるのが好きで
一本気で怒って頬を膨らます女官を「ほおずき」とか、甘える仕草がネコみたいで面白いから「にゃん」とつけたり
色白で大柄だが、ちょっと臆病だと「うど」と名付けたりした。
そして、姉さん女房の昭憲皇太后には「天狗さま」。
ちなみにこの天狗さま、年下の明治天皇にとっては頼りがいがある存在だけど、雷がピカッと光ると怖がって部屋の隅に逃げ込んじゃうかわいいところもあって
そのたびに「天狗さまが小さく片付いているなぁ」とニコニコしたりしたそう。
新聞記事に(´・ω・`)となる
天皇たるもの、天が下の様々なことに関心を持たねばならぬ、とおもった明治天皇。
毎日、宮中に届けられる新聞にせっせと目を通していた。
新聞は一般に届けられるものだが、天皇が手に取る際には事前にアルコールを噴霧し、消毒。
読み終わると、永久保存扱いとなる。
ある日、新聞を開くと、自分のことが記事になっていて思わず目が留まった。
その記事、一言でいうと
ところで天皇陛下最近、太ったよね
という内容で、何しろ、先ほど書いた通り、食は洋の東西、甘辛問わず好む「両刀使い」の陛下。
ご本人にも当然?思い当たる節があった様子で、はた目にもちょっとわかるくらい、(´・ω・`)としていたそうだ。
明治天皇のお花見
天皇だから、人のいるところに出かける、ということができない明治天皇。
お花見も、「側近に見てもらってきて、報告を受ける」というスタイルだったそうで、それならみんなが楽しめるように、と移動時間はこれくらいで、途中の休憩はここで20分くらい…現地に着いたら一杯やって楽しんでもらい、戻るのに時間はこれくらい…と超綿密に計画を立てた。
ちなみに移動は馬に乗って。
…ところが、参加者は馬が苦手な文官も多数参加する。
なので馬を上手に乗りこなせない人は、花見の話題があると、天皇の命令で飼ってる馬を引っ張り出し、せっせと乗馬の稽古に励むことになる。
で、お花見当日、明治天皇は馬の上手さ、苦手さに合わせて「乗る馬」をあてがい、一行を出発させる。
現地に着くと、花見で一杯。
ここで、私なぞは「長っ尻」で夜まで飲むのだが、「明治天皇プロデュース」は帰るまでがスケジュール。戻ってから「二次会」が待っている。
行きは何とか、馬にしがみついてついてきていた連中も、酔っぱらって落馬するものあり、苦手なやつをからかって相手の馬に悪戯するものあり、とハプニングが連発。
そのハプニングも漏らさず報告を受けて、「楽しい花見だったなぁ」と明治天皇は大喜び。
雪の日に子供たちに「雪山を作れ!」
当時は、今の中学生くらいの年齢で奉公に出るなんてことは珍しくなく、
宮中にもそんな子どもたちが働いていた。
ある日、大雪が降ると、子どもたちに「6尺の高さの雪山を作れ!」と命じた。
宮城に積もった雪をせっせと運び、一日かけて雪山を作る。
天皇の命令だからきっちり6尺(約180センチ)になるように定規を当てて、高さを測る。終わるころにはすっかり一日が過ぎ、ご褒美にお雑煮やお汁粉がふるまわれる。
要は、天皇陛下の命令で1日雪遊びしたわけ。今とは比較にならないくらい休みが少なかった時代の、粋な特別ボーナスだった、というわけでした。
暇さえあれば短歌を詠みまくる!
明治天皇は短歌をとにかく詠んだ。
その生涯で、93000首。暇さえあれば、一首ひねる。短歌を書き込んだのは、書類や封筒などを裏返し、反故紙の余白を有効利用したり、意外と質素。
ちなみにブログ主が好きなのは
敷島の 大和心のをゝしさは ことある時ぞ 現われにける
もし明治天皇が今で生きていれば、もしかしたらスマホを操り、Twitterにガンガン投稿をいれて楽しんでいたかもしれないですな。
【ちなみに昭和天皇のエピソードまとめはこちら↓から】
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