生物学者昭和天皇が「助手」をつとめた話

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昭和天皇
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この記事は、昭和天皇に24年間仕えた侍医、杉村昌雄さんが書いた『天皇さまお脈拝見』から、

昭和天皇が、杉村さんの(趣味でやった)プランクトン観察のお手伝いをした、というちょっと微笑ましいエピソードを紹介します。

この『天皇さまお脈拝見』は、昭和天皇の最も近いところで仕えた人が、思い出話を語る内容で私のような昭和天皇スキーにはたまらない一冊になっています。

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昭和天皇のライフワーク、生物分類学

昭和天皇は幼少の頃から生物へのご関心が高く、養育係(足立たか、のちの鈴木貫太郎夫人)に与えられた生物図鑑を読んで名前を調べたり、それでも分からなければ、たかと親交のあった生物学者に調べてもらったりしていたそうです。

戦中は軍部に柔弱なご趣味だと嫌がられていたそうですが、

戦後は国権の揺籃者から、日本国の象徴へとその役割が変わり、お仕事である政務を熱心にこなす傍らで、生物分類学に取り組みます。

どんな種類があるかを調べる分類学をやられたのは、ご政務の合間にチョコチョコやっていくのにピッタリだったから、だそうです。静養や巡幸の時の休養日などに、磯に出たり船を出したりして標本を採集していました。

ただすごいのが、これがただのご趣味でなく、しっかりとした成果になって表れていること。新種も発見していて、ヒドロゾアやウミウシ、エビなどで200種あまりを見つけています。

侍医が「プランクトンを調べてみたい」に超ノリノリで許可

そして昭和30年代前半の初春のこと。

昭和天皇は10日ほど葉山にご静養に行かれた時、海上保安庁の巡視艇に乗って、生物の採集にいそしんでいました。

採集は船から底引き網のようなドレッジというものを流し、取れた生物からすでに自分の手元にあるものは海に返し、必要なものだけを標本のためにとるといった感じ。

1日、これを3回くらい行うと時間が終わる、とのこと。

杉村侍医も静養に同行した時、この採集のお手伝いをしていました。

医者ですから、常に酔い止めのお薬やケガをした時の手当の道具なんかを持っているのですが、昭和天皇は船に強く、普段は屈強な護衛官がむしろ船酔いに苦しんで、酔い止めをもらっていたんだそうです。

杉村さんは「(昭和)天皇にお仕えしていると生物好きになる」とこの著書の中で語っていますが、その杉村さんもお手伝いをしているうちに、学生時代にやっていたプランクトン研究を思い出し、昭和天皇に思い切って打ち明けます。

「杉村、じつは中学、高校の生徒のころ、富山湾及び富山市近郊の湖沼の、海水産・淡水産のプランクトン、とりわけ珪藻類の分類を企てたことがございます。やがて東京の大学の医学部に進み、企てても立ち消えになってしまいました。が、いま、陛下にお供して葉山に来ることもたびたびになりましたので、今一度、初心にかえって同様のことを試みてみようと思います」

すると陛下も、たいそうご興味をお持ちになったようなご様子で「是非、やってみるように。明日からでもやるように」とのおおせ(79~80ページ)

昭和天皇は侍医の研究に「実行の手はずから用意についてまで説明をしてくれた」と書かれています。ノリノリですね。

「さ、これを使うように」

首尾よく陛下のご許可もいただいて、翌日。

杉村さんは陛下の採集が終わった後、プランクトンを採集するネットを下ろして、取れた海水ごと保管用の管ビンに分注するという作業をすることになりました。

陛下は標本採集の際3回ドレッジを行う、というのは先ほど書きましたが、杉村さんの調査もそれが終わる度にネットを3回、海におろすといった案配で行われ、深さも、10メートル、20メートル、30メートルと変えて採取を行ったそうです。

そして…

”問題”は三回目のときに起こった。

海水を採取し、それを管ビンに入れようとしたのだが、手元に管ビンがない。みんな使ってしまったらしい。

ないのに気が付いて、いささかあわてていると、あろうことか陛下ご自身が、貯蔵箱から管ビンをお出しになって、それを私のところに、わざわざお持ちくださるではないか。

「さ、これを使うように」

私はあまりのことに、お答えする言葉も出てこない。

陛下は腰を曲げ、管ビンのふたまでおとりになって、「さ、これに入れるのだよ」とうながされる。

私は「全く恐縮でございますので、遠慮申し上げます」とやっとの思いで、それだけを申し上げた。すると陛下は微笑をお浮かべになりながら、

「まあ、いいじゃないか」と重ねておうながしになる。私は、身のちぢむ思いで、「では、お言葉のとおりにやらせていただきます」と申し上げてから、陛下のお持ちくださる二本の管ビンに採取した海水を分注したのである(80、81ページ)。

侍医が、まねごとで採集をしている様子を、見てたんでしょうね。

で、「あ、管ビンがないじゃないか」と気づいてすぐ持ってきてくれた。

杉村さんも、陛下を助手に使う形になっちゃってすっかりあがってしまい、周りの様子とか、そういう事を伺う余裕も全部とんじゃったとか。そりゃ、そうですな。

ちなみに翌日からは、ちゃんと3回分、6本の管ビンを手元に用意していたので、陛下の手を煩わせることはなかったそうです。

その後も顕微鏡で観察してスケッチを取った杉村さんに専門書を貸してくれたり「プランクトンって、季節によって変わるから春夏秋冬で観察するといいよ」と研究者として親身にアドバイスを頂いて感激した、と楽しそうに書いています。

 

以上が、生物学者昭和天皇が助手をつとめた話の顛末になります。

ちなみに、この杉村さん、例の「フグをなぜ食べてはいけないのか」と昭和天皇に問われた侍医です。

時代的にいうと、このプランクトン採取をした時の方が、フグの話より10年弱早いので、昭和天皇も「彼ならまぁ、生物に興味があるから」と比較的気安くあのフグ論争を仕掛けたんじゃないかと思います。

これまで、料理番の本は結構読んできたんですが、この『天皇さまお脈拝見』は料理番よりも普段の距離がグッと近く、それだけ面白エピソードが満載でした。

この本からまた、面白い話を書こうと思っていますが、「ブログの記事なんか待っていられるか!」という方はぜひ、読んでみて下さい。

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【参考文献】

 

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活字中毒歴30年超。どんなことでも面白いと思ったらやっちゃう性格でそれが今の仕事でも結構活きています。
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