アラフォーの私が、まだ一桁の歳だった頃の話です。
私の祖父は群馬県松井田町(現在の安中市)に住んでいました。
平屋の家で、玄関を上がって左手に大きな寝室兼、客間があり、そこの床の間に「信濃の国」と書かれた掛け軸が常に掛かっていたものです。
筆文字で、長々と書かれたそれに、小学生の私はいたく興味を持ち、祖母に「これなぁに?」と尋ねたところ…大変なことが起こってしまいました。
祖母と大叔母の二人が声高らかに大合唱!
これは「信濃の国」という歌の歌詞だと祖母。祖母は長野から嫁いで長年この歌を歌い継いだという。
その場で、アカペラで歌ってくれた。
「信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し
松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地
海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき四方に聳ゆる山々は 御嶽乗鞍駒ヶ岳
浅間は殊に活火山 いずれも国の鎮めなり
流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川
南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖には魚多し
民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて 蚕飼いの業の打ちひらけ
細きよすがも軽からぬ 国の命を繋ぐなり尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床
木曽の棧かけし世も 心してゆけ久米路橋
くる人多き筑摩の湯 月の名にたつ姨捨山
しるき名所と風雅士が 詩歌に詠てぞ伝えたる旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆此国の人にして 文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず吾妻はやとし日本武 嘆き給いし碓氷山
穿つ隧二十六 夢にもこゆる汽車の道
みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い」
祖母の熱唱を聞きつけて、途中からたまたま滞在してた上田の大叔母も歌の輪に割って入り、2人は「信濃の国」を大合唱。
今ならこんな変な光景を目の当たりにしたなら「どういういわれのある曲か?」と記者魂全開にして根掘り葉掘り聞こうというものだが、
おばあちゃんとおばちゃん(と呼ぶのが習わし)が気持ちよさそうに、また懐かしそうに合唱するのを、文字通り( ゚д゚)とした表情で2人の歌に黙って拝聴するしかなかった。
長野ナショナリズムの象徴!?
で、その後知ったところでは
・他県から入ってくる新人は、この歌を知っているかを必ず聞かれ、知っていると一気に親しくしてくる
・県人会や宴会の締めは『信濃の国』の大合唱
・長野県議会で県庁所在地の移転議論が白熱し、あわやつかみ合いが始まろうとした時、誰からともなく『信濃の国』が歌われて議場で斉唱状態になり、何となくとげとげしい雰囲気が収まってしまったんだとか…スゲーよ!!
【参考記事】
また以前、佐々淳行さんがあさま山荘事件の本の中で「とにかく長野県警はプライドが高くて、何でも自分たちが一番!という意識がやたら強かった」と呆れていた。
もしかしたら、幼少のみぎりからこの歌を繰り返して叩き込むことによって「信濃は素晴らしい」と無意識レベルで刷り込まれているからでは、と妄想しちゃうレベルなんである。
祖母も他界したし、おばちゃんに話を聞ける状態じゃないんで、長野県人の皆様の意見を拝借しつつこの不思議な歌の謎を解明してみたいと思っています。
ぜひ、エピソードをお持ちの方、お気軽にコメント欄までご意見をお寄せください!
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