連休も半ばを過ぎて、私、どこかに出かける当てもなかったんです。
そこで、こんな時こそ地元を歩き回ってみようと思い立ち、埼玉県比企郡吉見町にある「吉見百穴」に行ってみることにしました。
昔両親と暮らしてた時に、北本市から関越自動車道の東松山インターに行く時、
百穴の前の道をよく走っていました。
この辺の山肌にはかつて「岩窟ホテル」もあって
そういうのを見て「吉見百穴」ってこんな感じだったのかなぁと勝手に想像してました。
しかし、前は何十回と通っていたのに、これまで行ったことはなかったんですよ
吉見百穴とは、なんぞ??
この吉見百穴ってのは古墳時代の末期(6世紀末~7世紀末)に造られた横穴墓です。
古墳時代というと、私なんかは行田にあるさきたま古墳群を思い出してしまうんですが、大和朝廷の権力基盤が確立し、
地方の豪族から国へと土地の所有権が移り始めた頃に作られました。
百穴という名称は江戸時代ごろに生まれた名称だそうで、大正12年に国の史跡に指定されました。
この「百」というのは多いという意味でしょうね。実際現在確認できる横穴の数は219基で、
この手の横穴墓としては国内最大級だそうです。
なんか、プチ観光地みたいになっててビックリ!
行ってみて驚いたのが、しっかりとした門が立っていて「いかにも」と言った堂々たる看板で
「吉見百穴」と大書されていたこと。
なんか、想像していたのだとえらく素気ないものだと思ってたのに、結構裏切られましたね。
300円の入場料を払って中に入りますと…
飲食ができるお店に、同町での出土品をおさめた資料館も併設されてたりと気合の入り方が違います。
いやぁ、ここまで観光資源として整っているとは…
とりあえず、正面の階段から百穴を登ってみることにしました。
階段が古!しかも急!!手すりが低い!!!
あ、自分実は高所恐怖症でして、伏見の明治天皇陵の200段を超える階段の時も腰が引けておりました。
だったら登らなきゃいいじゃないか?という方。
そこに階段があるんだから登るんですよ。「煙とバカは上に行きたがる…」とかグチをこぼしながら。
後ろを振り向くと怖いから、足腰が衰えたジジイのごとく、一歩一歩登っていきました。
すると中に入れる穴があって、先客が出ていくところに遭遇。
言うたって、墓ですよ。だけど中の様子が気になるし、とりあえず入ってみました。
今日は初夏を思わせる暑さでしたが、凝灰岩をくりぬいた石室はとても涼しい。
快適、と言ってもいいくらい。
で、中に入ると部屋の両側にベッドみたいに一段高い場所がありました。
あと、壁に落書きの跡も…だれだ、こんな罰当たりなことをする奴は?人の墓だぞ!?
だけど、見るとベッドルームに見えなくもなく
ここが住居跡だとした説が出るのも無理はないなと。
で、さらに上を目指すと、東松山市街を望む場所が姿を現します。
でも、高所恐怖症の上、フェンスがスッゲー低いの…
だから、へっぴり腰で撮影しました。
はるか向こうに富士山や、秩父の武甲山も眺められるスポットになっております。
そして、振り向けばそこは雑木林。
ハチやヘビなんかも出るみたいで、私足元に落ちている枝をヘビと誤認して、
ウワッ…とずっこけそうになりました。
森の中涼しくて最高です。でも、石室の中に比べると、まぁまだ暖かいですね。
で、降りてきたところに、押し広げたように大きな穴がありまして…
ヒンヤリとした風が奥から流れてきます。
ここは、実は太平洋戦争末期に百穴を改造して造られた「地下軍需工場の跡地」なのです。
突貫工事で作った、地下戦闘機工場
時代は太平洋戦争末期。本土への空襲が激しさを増し、民間人へ焼夷弾を雨あられと落とす一方で
戦闘機の工場も主要攻撃ターゲットになりました。
そんな折、中島飛行機(現在のSUBARU)は、東京都武蔵野市にあった武蔵工場を破壊され、生産量は一気に10分の1にがた減り。
そこで、大宮にある工場を穴の中の軍需工場に移す計画が立てられ
その用地として使われたのが、この吉見百穴だったのです。
当時は3000人を超える人が昼夜兼行で穴を押し広げ、網目のような地下軍需工場用地を準備し
目の前の川の流れを変えて、平地を確保し…とかなり大がかりな工事を行ったそうです。
そして1945(昭和20)年7月に工事が終わり、本格生産に移ろうとした矢先に
日本はポツダム宣言を受諾。結局この工場も用なしになっちゃった、というわけです。
【参考記事】
で、あれから78年が経過し、現在は天井が崩落しないか、調査中ということで
ここは現在立ち入り禁止になっております。
で、中の様子を知りたい人は、入り口となりにある資料展示室のビデオ放送で、映像で見れるようになっていました。
ビデオの写真で分かる通り、素掘りで掘られたトンネルは
仮面ライダーやウルトラシリーズなどのヒーローものの撮影でよく使われており、
「あ、ココ見たことある!?」と気づく人も多いはずです。
「ヒカリゴケ」が生えている穴を覗く
あと、ここには「国の天然記念物」となっている(これは先述の史跡指定とは別)
ヒカリゴケの自生があります。
ただ、最近は大分乾燥が進んでしまって立ち入りができず
鉄柵に空いたのぞき穴から見る形になっています。
のぞいてみると…これかなぁ…というのが、右手奥に確かに光ってる。iPhoneのレンズをのぞき穴に近づけて、ギリギリまででっかくして撮ったのが、こちら。
ここも、顔を近づけるとひーんやりしてて、暑さでのぼせそうな私には、ホント嬉しい涼しさでした。
ついでなんで、隣接する資料館にもお邪魔する
外は暑いんで、敷地内にある町立の資料館「吉見町埋蔵文化財センター」にもお邪魔します。
同町で出土した遺物などを展示しているんですが、
ここのおススメは「広報よしみ」に連載されている(らしい)歴史コーナー「昔のよしみ」を
「源範頼」「武蔵武士」「松山城」などシリーズごとに再編集した、簡易リーフレットです。
これが、種類豊富で歴史好きには読みごたえがある。
私は、宝の山を見つけたかのように、目を輝かせて全部頂いてきました。
これが貰えただけで、超得した気分です。
また、こちらは「勾玉づくり体験」も予約制で出来るらしく、私と入れ違いに親子連れが体験を受けていました。
同館のホームページはコチラから。
飲食も敷地内で出来るのもポイント
吉見百穴には、飲食スペースもあってお店でうどん、ソバなんかも食べられますし、
埼玉の銘菓「五家宝」なんかも食べられます。作りたてだそうで、さっくり柔らかい食感が懐かしい!
昔食べたなぁと。
そうしたら、あーた。お馴染みのきな粉の他にチョコレートやクランベリーなんて
こじゃれた五家宝の味まで出てたりして。
んで、冷やかしで「きなこ」「チョコレート」「クランベリー」の3つを350円で買って食べてみたら
あらやだ、美味しいんですよ。これが。
ちょうど小腹が空いてたこともあり、美味しくいただきました。
吉見百穴、何にもないかと思ったら、結構見どころが詰まってておススメです。
もっと来訪者が増えると、町のメンテナンスも行き届いてくると思うので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?
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