今朝Yahooニュースで読んだ記事でちょっと気になったのが、
静岡県の川勝平太知事の10月7日の会見でのコメントでした。
「菅義偉という人物の教養のレベルが図らずも露見したということではないか。菅義偉さんは秋田に生まれ、小学校、中学校、高校を出られて、東京に行って働いて、勉強せんといかんと言うことで(大学に)通われて、学位を取られた。その後、政治の道に入っていかれて。しかも時間を無駄にしないように、なるべく有権者と多くお目にかかっておられると。言い換えると、学問された人ではない。単位を取るために大学を出られた」
ふーん(´・ω・`)。
川勝知事はつまり学問された人=教養がある、と言いたいらしい。
そうかなぁ…と思っているうちに、私の中で「教養って、なんだろうね?」
という思考にたどり着いたわけであります。
これまで色々考えた「教養とは?」
私はまぁ、川勝知事の申された「単位稼いで大学を出られた」人間です。
社会に出てから様々な方と知遇を得て、お付き合いをさせてもらって来ました。
はじめの頃は、私も世間知らずでしたから、色々ご迷惑をかけたり、失敗をしてきました。
まぁ、失敗して冷や汗かいて土下座してとやってきたら、世の中「色々な考え方、見方があるのだな」と、思うことが増えました。
そんなことを20年も続けてきたら「この人はどんな人なのかな」って見る癖が徐々に付いてきたと思います。
あるいは、世の中で「当たり前」と呼ばれるものの中にもいい加減なものが結構混じってて、
受け流すのも生き方の一つではあるけれど、真面目に勉強して、考えてみようと。
それを繰り返すことで、比較的フラットな思考を手に入れられたかなと思います。
ある時、ふと気がついたのですが
「あるがままの姿をあるがままに把握する力」が教養というものの正体かな、と。
そう思うようになったのであります。
学歴=教養ではない
まぁ、正しい知識は大事だと思うんですが、しかし、専門の学問を積んだ人のみが、正しい見識、教養を磨ける、というのも違うと思う。
世間っていうのも、学問に負けず劣らず中々の複雑系です。
学問を究めるというのも、仕事である以上は他の仕事でそれが磨けない、ということはないと思います。
実際、私より学歴のない人でも、ビックリするほど優れた洞察力や判断力を持つ方はいくらでもおられましたしね。
まぁ何が言いたいかというと学歴=教養ではない、ということなんです。
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