『昭和天皇物語』5巻を読む

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この記事は、ビッグコミックス『昭和天皇物語』(能條純一)の5巻に関して書いていきます。

話のスジはともかく、これから誰を見ていると面白いよ、と言うところでも書いていこうかな、と。

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原敬の突然の死

昭和天皇の洋行を強く進め、英国式の立憲君主国を目指したのが、原敬。

その力量は、かつて久邇宮良子(のちの香淳皇后)で対立した山縣有朋も「日本に必要な男」と高い評価と期待を持っていました。

しかし、原敬は大正10年11月4日に東京駅で、鉄道員をしていた中岡艮一に刺殺されます(原敬暗殺事件)。

ここで、2つの視点を補助線として追加してみたいと思います。

一つはこの時代が「普通選挙」への過渡期であったという事です。

当時は納税額によって選挙権が与えられる「制限選挙」で、野党は国民の男子に一律に選挙権を与える普通選挙への移行を主張していました。

原は時期尚早であると、慎重な姿勢を示していました。というのも、国民の意識がまだまだ普通選挙に耐えられるほど強くない。

そのため煽動的な勢力に煽られた時に、進んでその勢力を後押ししかねないということも頭に入っていたからです。

非合理で破滅的なポピュリズムをいかに抑えて、真っ当な手続きの元に国家を運営するかを考えた場合に、極めて重要な課題でした。

原の中ではおそらく、将来天皇となる皇太子裕仁殿下を、万全な形で「立憲君主」として自立いただきつつ、国民意識をムリなく高めて普通選挙へ…というロードマップがあったのかも知れません。

しかしそれも原敬の暗殺で、頓挫します。

もう一つは、政府要人へのテロ行為に対する恐ろしいまでの甘い対応です。

暗殺犯の中岡艮一は当初死刑を求刑されましたが、判決は無期懲役。

さらに3回の恩赦を経て、昭和9年に出所します。

暗殺犯の中岡艮一。彼は戦後も生き延び昭和55年に亡くなりました。

日本は昔から、「心からの誠心だというと、テロリストへの量刑が甘くなる」浪花節的なところがあるみたいで、後の血盟団でも、5・15事件においても、同じような手心が加えられました。

原敬暗殺事件は、そう言ったテロに訴えてでも、という乱暴なやり方を軽微なものと見逃してしまったという意味でも、後世の影響が大きいと見ています。

秩父宮雍仁殿下の『天皇親政』への傾倒

この巻のもう一つの注目点は皇太子裕仁殿下の弟、秩父宮雍仁殿下の「天皇親政」への傾倒ぶりです。

コレは別に彼本人だけの考えではなく、当時の陸軍で広まり始めた「皇道派」の影響を強く受けている。

そして、最終的にはこの皇道派が天皇親政を唱え政府要人を襲撃する、2・26事件というクーデターを決行することになります。

そして、この皇道派が頼りにしていたのが秩父宮雍仁殿下。

今後、昭和天皇となる兄との意見的な対立がどうなるか、そこが非常に興味を持ちます。

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