人間って生き物は、時として昔食べたものにものすごい郷愁を覚えるものらしい。
最近、飯を食べていて無性に思い出すのが「じいちゃんちのご飯」だ。平民の子である祖父の家の食事は、ごく慎まやかなフツーのメニューだったんだが、今考えるとちょっと再現不可能でこれはこれですごく贅沢だったりする。
30年以上昔の今頃お盆休みにそれこそ毎日食べた食事をちょっと思い出語りに書いてみたい。
ご飯、みそ汁、漬物、塩じゃけ
まぁ、普段はこの4種類。うちの祖父は戦後食糧難に喘いでいた世代だから、「銀シャリを腹いっぱい食べる」ことへの執着はそれはもう、すごかった。
歳を重ね食が細くなる分、孫の私がお代わりするのがすごく嬉しかったのだろう。
お膳に並ぶのは決まって、季節の野菜がたっぷり入ったみそ汁に梅干し、白菜、キュウリ、タクワン、野沢菜漬の入ったどんぶり、それに塩じゃけ。
漬物類には味の素やおかかをふりかけ、塩じゃけに至っては塩引きと呼ばれる、焼くと塩が表面に噴き出るほど塩辛いヤツが定番だった。
刺身はあんまり出なくて、魚というと塩じゃけかタラの粕漬とか、保存に適したものが多かった。
長野の親せきが多いので、自然とそちらの食生活に近くなったんだろうね。
味噌、漬物はぜーんぶ手作り!!
とまぁ、ここまでだと特別なものはなにもないんだけど、特筆すべきは味噌と漬物。
祖父の家には日常を暮らす母屋のほかに、漬物とみそを保管する小屋、昔漬物工場だった作業場に、旧母屋の土蔵の4つの建物が建っていた。
この母屋以外の3つの建物を駆使して、味噌と漬物を全部自家製でまかなっていたんです。
味噌なんかだと、麹はタネを買って来てご飯にまぶし、土蔵で麹を育てます。蔵の中を蒸し暑いくらいまで温めたところで寝かせたものです。
それから母屋前のかまどで大豆を柔らかくなるまで煮て、これを機械ですりつぶして塩と麹、大豆の煮汁を混ぜ合わせ樽に漬け込みます。冬に仕込んだみそは、次の冬ごろには食べられるようになります。
漬物も小屋の中にずらりと並んでいて、朝に祖母や母が取り出してどんぶりでドカンと出してました。
福島のDASH村で活躍した、明雄さんの本を読んでいると祖父の家との共通点や相違点なんかが読めて、面白いんですよね。
もう失われた、昔の味
味噌も漬物も、祖父家の味になじんでたせいで特別旨いとも思っていなかったんですが、大人になって外食すると、みそ汁が単なる塩辛い粉っぽい汁のように感じてしまいます。
手作りのみそをあれこれ試していますが、いい値段するんですよ。
で、食べつけたあの味のものはない。美味しいのですけど。
親戚筋にも味噌を作る人がいますが、ちょっと違う感じです。
漬物もそうですね。祖父のウチのは信州の味付けだから結構塩辛い。だけど、市販品のように合成添加物が入る余地がないから、甘ったるくなくてさっぱりした感じでコレもおいしかった。
あとお気に入りだったのは「野沢菜を刻んで納豆に混ぜてメシにぶっかけて食べる」やり方。タレを入れなくても野沢菜の塩気とシャキシャキでご飯が何杯でもいけます!!
漬かり過ぎた野沢菜も細かく刻んで油炒めにすると酸味が和らいで美味しい。
最近は両親や叔母たちが漬物を漬けてて、お茶請けとかに出してくれる。
さすがは自家製。本当に美味しい。ただ、野沢菜漬けだけは、誰も漬けていないのでこれが幻の味になっています。
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