この記事では、
「昭和天皇がお色気番組『プレイガール』を見た」伝説について検証します。
様々なエピソードの中でもおそらく一番のミスマッチ
謹厳実直な昭和天皇が、エロ番組!?という意外性もあって関連書籍に当たってみましたが、
この話、畏れ多いのかなんなのか、目を通した本が10冊を超えてもサッパリ出てこない。
それが、ブックオフで偶然入手した一冊から、なんとなく謎が解けたので書いていきます。
「天皇の素顔」本を読み漁る
私は昭和53年生まれ。
子供のころ、皇室というもののイメージが良く分かりませんでした。
しかし、
今上や秋篠宮殿下が「浩宮さま」「礼宮さま」と呼ばれる映像を日々目にして、
「この方々はなんだか良く分からないけど立派な人なのだろう」と思っていました。
大人たちはまた別の見方をしていたのでしょう。
親戚の家に行けば、皇室ご一家の写真は普通に飾られてましたし、
昭和天皇が崩御され大喪の礼があった時、
胡座をかいてた父親が正座して居住まいを正したことを覚えています。
大人になり、当時の陛下に対する国民の意識に興味が湧き、様々な本を読んでみました。
昭和天皇は『プレイガール』を見たのか?
天皇の料理番や側近など、当時仕えた方の本は優しく威厳のある天皇像が見て取れました。
また、戦後のご巡幸に関してもやはり、
曇り一つない人柄に国民が感動したエピソードがこれでもか!と盛り込まれています。
実際に声をかけられた人々の証言集というのもありましたし、
昭和天皇のインタビューを集めた『陛下、お尋ね申し上げます』は資料として大変面白く読みました。
ただ、昭和天皇はプライベートを語ることが少ない人だったということがあって、
生前から「答えられません」というお答えが多いことが結構あります。
例えば、テレビの好きな番組について。
1975年(昭和50年)10月31日の記者会見で
「テレビはどのようなものをご覧になりますか。もしよろしければ、お楽しみを教えていただければ…」
という記者の質問に対して、
テレビは色々見てはいますが、放送会社の競争がはなはだ激しいので、今どういう番組を見ているかということには答えられません
と微笑みつつ冗談交じりに返し、肝心の番組名については明かされていません。
ただ、側近たちの日記などで明らかになった番組名もあります。
例をあげれば、
NHKの朝の連続テレビ小説、水戸黄門、江戸を斬る、相撲中継、自然のアルバム、皇室アルバム、アニメ『小公女セーラ』…など。
その中でメチャクチャビックリしたのは『プレイガール』でした。
『プレイガール』とは?
この番組は1969年から1986年の17年間
東京12チャンネル(現テレビ東京)で放送された番組です。
沢たまきさん演じる「おねえ」を中心としたお姉さま方が
国際秘密保険調査員として様々な保険金に絡む調査を行うストーリー
…というのは表向きで
基本キレイな女優さんの入浴シーンや、豪快な前蹴りからチラリとのぞくチラリズムを堪能する「お色気番組」です。
ちなみに『ウルトラセブン』でヒロイン、アンヌ隊員を演じたひし美ゆり子さんも出演されています。
…しっかし、あの昭和天皇が
パンチラ、オパイ丸出し連発のドラマを見ていたのか?!
あまりに凄まじいギャップに、私は猛烈な違和感を感じたわけです。
『上着を脱いだ天皇』で疑問氷解
しかし、この『プレイガール』についてはこれまで読んだどの本にも触れられていない…
当たり前ですが。
関連書籍にはまったく触れられることはなく、
私自身その情報源がウィキペディアだけ、ではあまりに弱いので、
暇を見つけては古本屋を通い、なんかないかな…と探しておりました。
そんなある日、ブックオフで100円本の中に、『上着を脱いだ天皇』を見つけました。
初版昭和63(1988)年。これまで読んだ本の中では比較的古いものです。
まぁ、当時の本だから、後に出版された内容とダブるだろうと勝手に思っていました。
ところが、違っていました。
考えてみれば、
この本の想定読者は昭和40年代以前の生まれで、
しかも『プレイガール』は2年前に放送終了したばかり。
そのために、のちの本では省略されて紹介されるエピソードも
具体的な名前を挙げながらより掘り下げて紹介されていました。
もちろん、ここには読者(当時)にとっても(多分)お馴染みの『プレイガール』の件も登場します。
昭和天皇の侍医を24年間つとめた杉村昌雄氏が著者に明かしています。
「ニュースはとにかくよくご覧になる。それに大好きな大相撲の中継だけは欠かさずご覧になる。
通常、ご公務は、ほかの者が働いているからと決してスイッチを入れられることはないが相撲だけはべつです。
いつだったかお話をお聞きしていると”ブレイガール””ブレイガール”とおっしゃる。
なんだろうと思うと、ほら、若い女性のグループが太腿もあらわに悪人を蹴り倒したりして活躍する番組『プレイガール』というのがあったでしょう。
どうも、あれらしいのですよ。
“無礼ガール”とはいかにも陛下らしい、思わぬユーモアだなと思いましたが、おそらくご覧にはなっていなかったでしょう。
陛下は、これははっきり断言できるが、
お色気のシーンはお好きではない。そうしたシーンが出てくると、すぐにチャンネルをお換えになってしまう。
むろん、ヌード・シーンなんか、ご覧にもならない」(96〜97ページ)
どうやら、このくだりが「昭和天皇は『プレイガール』を見た」という記述の根拠のようです。
ここからは私の推察なのですが、
昭和天皇はそれと知らずたまたま「何だろう?」としばらく見てみたが、
お色気シーンでドン引きしてチャンネルを変えた
…といった感じではないか、と思います。
毎週『プレイガール』を見て鼻の下を伸ばす昭和天皇
というシーンを思い描いていた向きからは若干拍子抜けかも知れませんが…
これでも「見た」ことにはなると思います。
実は、香淳皇后ひと筋!
ちなみに『上着を脱いだ天皇』には
昭和天皇は恋愛モノには一切興味を示されなかったともエピソードが披露されています。
私自身、あまり恋愛について興味がないからなんとなく分かるのですが
「恋愛への興味」はない人は本当にない。
まして、自由に相手を選べず後継者を設けることが「義務」の時代の天皇ですから、
そんな視点など考えられなかったのではないかと思います。
かといって、昭和天皇は人情味に欠けた方というわけでなく、
妃である香淳皇后とは極めて円満な夫婦関係だったそうです。
結婚は決められたものだったので初めは恋愛感情は無かった(『陛下お尋ね申し上げます』より)とのことでしたが、
「良宮」「お上」とそれぞれ呼び方を決めて生涯仲睦まじい夫婦生活を送ります。
新婚当初からも手を繋いでお散歩して臣下に叱られたり、
内親王が4人連続で生まれたので側室を勧められてもキッパリと断りました。
激動の昭和を共に過ごし、徐々に「老人特有の症状」が顕著になる皇后にペースを合わせ、生涯皇后を思いやっていたそうです。
また、例の「フグをなぜ食べてはいけないのか」と、昭和天皇と侍医と白熱した「フグ論争」では、香淳皇后からタオルが投げられて、一件落着?になりました
香淳皇后については、コチラの記事もご覧ください。
ちなみに昭和天皇が見た『無礼ガール』
もとい『プレイガール』はDVD化されているので、どんな内容なのか確認したい方は、ぜひ↓を。
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杉村昌雄氏が、昭和天皇を「助手」にプランクトン採集をしちゃったお話。
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