この記事では佐藤優さんの『人をつくる読書術』(青春新書インテリジェンス)から
読んで心の栄養になる、本の読み方を紹介します。
私自身、佐藤優さんの著作は好きで目にしたらとりあえず買っておいて読むようにしています。
彼の著作は読者のレベルに合わせた書き方をしているのが特徴。
私は大雑把に3つのレベルに分けています。
①哲学、宗教、思想など
②小説、自伝
③自己啓発書
言うまでもなく、①が一番難しく、②、③と徐々に優しくなっていきます。
この本は一応③に分けられると思います。
そして、この本は6章に分かれています。
しかし、この本は単なる読書術の本、というよりは先へ進めば進むほど、テクニックよりも著者の体験を下敷きにしながらの生きることと読書との関わりが語られるようになってきます。
読書術だけなら、最初の2章だけでも役に立つ。
テクニックとしての読書術なら第1章「作家をつくる本の読み方」と第2章「外交官をつくる本の読み方」で足りるかな、と思います。
ここで語られていることは、著者が以前書いた読書術の本にも再三出てくる事で、
本書は佐藤優さんの読書術をザッと理解するためのダイジェストとして非常に便利です。
特に「熟読」「速読」「超速読」の使い分け方やそのやり方をザックリ掴めます。
また、力のない僕のような人間が何を読んで力を付けるかということも分かります。
第3章を読んで、僕は小説の読み方が初めて分かった
でも、個人的には第3章「人間をつくる本の読み方」、ここが一番読んでて面白いと思いました。
さらに絞ると、著者が中学生時代に小説を読む面白さに開眼した、モーパッサンの短編「首かざり」の読み解きのくだりは、大人の私にとっても、
「なるほど、こういう読み方もあるのか!?」と驚かされました。
モーパッサンの「首かざり」は私も大学時代に読んだ記憶があります。
『首飾り』は、美人だけど見栄っ張りな主人公が
パーティーに付けていくために人から借りた首飾りを無くしてしまい、
慌てて高価でそっくりな首飾りを買って返します。
そのために方々に借金を重ねることになり、主人公と夫は借金を返すために、2人で内職もいとわず猛烈になって働くのです。
そうこうしているうちに主人公は美人だったのに、すっかり容貌も衰えるほどにくたびれ果ててしまい、首飾りを返した人にバッタリ。
借りた人から「実はその首飾りは模造品であり、大した価値が無かった…」と言われるというオチがつく短編です。
詳しくはこちらから。
僕が読んだときは「なんと皮肉な話なんだろう」という考え方までしか至らなかったのを覚えています。
しかし、彼が通っていた塾の先生は、本を読むのに
「要約」と「敷衍(ふえん)」が大事だと語ったそうです。
要約は、あらすじを作る能力。例えば、上の『首飾り』のあらすじなんかが、要約になります。
要約は割と、練習すればだれでも出来ます。
対して敷衍は、その人の経験や知識などで、「話をさらに膨らませる」ことになり
基礎的な知識や読む人の素養が必要である
と語り、「首かざり」の説明を始めます。
もし、この女性が首飾りを無くさなかったら、
当然、借金のために必死になって働かず、見栄っ張りなまんまで、
そのくせさえない現状に不満たらたら、旦那が自分を想う気持ち(嫁がこさえた大借金、一緒に稼いで返してくれるなんて、中々できる事じゃない)に気づくことなく
社交界に行けたら…というつまらない願望にとらわれ続けて
老いて容貌が衰えても残るものは何もない
つまらない人間になっていただろう、と…
これが、一編の短編小説に過ぎない『首かざり』をここまで深く、
話題を広げて考えられるものなのか…という「敷衍」の実例といってもいいもので、
思わずもう一度「モーパッサン短編集」を読み直したほどに面白く、大変興奮しました。
最初は、読み方を知る人に教わった方がいい「本の読み方」
ここを読んでいて、昔国語の教科書で読んだ徒然草の一編「仁和寺にある法師」を思い出しました。
仁和寺にいた、ある法師が、年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがないことを情けなく思い、ある時思い立ち、一人、徒歩でお参りにいった。(山麓の)極楽寺と高良神社をお参りし、(八幡宮へのお参りは)これだけだと思い込み帰路の途についた。
帰った後、傍輩に向って、「ずっと(心に)思っていたこと(八幡宮へのお参り)を果たせた。聞いていた以上に尊さ(八幡大神の御神威)を感じた。ところで、他の参詣者が皆、山へ登っていったが、何か山上にあるのだろうか。行ってみたいとは思ったが、お参りすることが本義であるからと思い、山上までは見に行かなかった。」と言った。
小さなことにも、案内者(指導者)は欲しいものである。
中学校の教科書にも出てくる、有名なエピソードです。
僕もこれまで読んだ本は「仁和寺の法師」と同じように、本の真髄をつかまないまま、
何となく「読んだ」と思っていることが多いのではないかなぁ…怖いなぁ。
そう思った次第です。
とはいえ、私も一通り年を重ねてきて、
以前読んだ本が全然印象が違ってて驚くことも増えています。
このブログでも、昔読んだ『一休さんの門』『一休さんの道』を10年おきに読みなおした時に感じた印象の違いを書いているので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
コレが見事に、本当にガラリと変わってて、面白かったです。
「人の親」なら第4章も必読かも
お子さんをお持ちの方なら、
誰しもが子どもの未来を思い、何か出来ないかと思われているかとお察ししますが、そんな方にオススメなのが第4章の「教育者をつくる本の読み方」です。
特に「親が読む本を強制してはいけない」というくだりです。また、上手に本に親しめるように環境を整える重要性は、個人的経験からもその通りだなぁと思っています。
親の目から見ると、つまんね~本読まないで、もっと身になるの読めばいいのに、と思うのは人情でしょうが…
本の面白さを知ったら勝手に成長するので、心配ご無用!
…とまぁ、説明してきましたが、これはこの本のほんの一部です。
「読みやすい」と言いましたが、第6章「キリスト教者をつくる本の読み方」は本当に難しかった。結構専門的だからです。
また、第5章「教養人をつくる本の読み方」もこれはかなり手強い!と感じました。
だけど、全体を通して「この本は買い!」というのが読んだ僕の率直な結論です。
何より「本と人との出会いが、人生の生きる柱になる」というのは、個人的経験からしても間違ってはいないと思うんです。
5,6章は難しそうだ!という方も、読めるところまで読み進めると得るものが大きい
これはぜひ、おススメしたいです。
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