この記事では、五木寛之さんの『死の教科書』(宝島社新書)をご紹介します。
今、43歳になりますけど、
「どう考えても、これまでの歳月分を生きるってことはなさそうだ」
と考えています。
さらに10年前の東日本大震災に33歳という、人生の成長期を登り切った時に出くわし
「人間の最期なんて、いつ来るか分かったもんじゃない」とも強く感じるようになりました。
以来、何となく宗教や哲学といったものに興味を持つようになりました。
そして生きてると、色々とモヤモヤがある。
「長生きも必ずしも、結構尽くめじゃねーな」とも感じます。
とはいえ、遊就館に出向いたりしますと、「生きる」を諦めることを選択した若い命のことを想い、胸が痛くなる。
若い時は「明日が無条件にやってくる」という事を疑いもしませんでしたが、
そんなことは、全然ないわけで…
そういう気持ちも含めての「生きる」ってことなんじゃないかなぁ…とは感じるようになってます。
「一つとして同じではない」人生相談に答えることの難しさ
この本は、死にまつわる五木さんへの質問にご本人が答える、という形になっています。
延命治療や、自殺、ペットロスや大事な人の死をどう扱ったらいいのか、といった
それぞれの苦しみに、五木さんは自分の経験や、先人たちのエピソードを紹介しながら
こういう風な考え方があるよ、とか答えていくわけです。
それが、押し付けなのではなく「自分でも、あなたにとっての正解かは分からないけれど」という意識が文中からほの見える。
一人ひとりが生きてきた経験を無視して、問題の部分だけを切り取って、
バッサリやる、ということはできないし、五木さんはしません。
あくまで、相手の問題を受け止めて、自分の経験や先人のエピソードにはこういうものがありましたと答える。
そこがまた、自分はどう思うか?をさりげなく問いかけられているようで、読んでて負担がなく、考える余裕ができるように思います。
説教をぶつけるのではなく、よりそってくれるような五木さんの言葉
自分が求めているもの、考えていることなどで「私はこう考えています」といったその人の生き方、考え方を
出すけれど「そうしろ」とは言わない人には「深いなぁ」と考えるっていうか。
人生って一人ひとり違うもんだから、どうやったらいいかって人それぞれちがったりする。
五木寛之さんは『生きるヒント』とか『大河の一滴』で、
決して押し付けないで「自分はここまで考えたよ」って語りかけてくれるような
そんなエッセイを書いてくれるので、読んだときに
自分のなかにスッと入り込み、それが事あるごとに意識に浮かび上がるので、好きなんですよ。
この『死の教科書』とかも割とそういう、人生における死という人によっては
目をそむけたくなるテーマを
あえて見ちゃうと、こんな感じで考えられるんですよね…と
サラリと書いてくれる。それも一人ひとりの読者に語りかけるように。
いつ来るか分からない死を怖がるより、いずれ来るんだから今を生きる
今回読んでいて「そうだな」と感じたのは
「死は生まれた以上は避けて通れないのだから、その日その日を一生懸命生きる」ということ。
人生なんて場合によっちゃ明日、
いや次の瞬間終わるかもしれないし、老若問わず来る時は来る
人の死というのは理不尽なものなんですが、だからこそ今どうしようか、
ってこころづもりがものすごく大事になってくるのだろうな、と。
また、それこそが「死を見据えて、生きる」ってことなんだろうなと。
少しずつ「ちょい読み」しながら楽しめる
この本は一つの質問に対して4ページから6ページくらいの非常に短い分量で書いています。
また、一つの質問の冒頭には、五木さんの回答の中から、
特に印象的な一節が大きな文字で、一ページを使って書かれる形になっています。
私はこの本を湯船にノンビリつかりながら、少しずつ味わうように読むのが好きです。
本を読むのが苦手な人って、
後ろまで「あと何ページあるんだろ」と気になっちゃう人もいるとは思いますが、
この本はそういう負担が割と少ない本ですし、本を読みなれない人にも手に取りやすいかな、と思います。
死に関しては、私を含めてすべての人が関係し、
生きることの大変さは、これまたすべての人が抱える問題でしょうから
この本の中に、自分の抱えているモヤモヤを晴らしてくれる一節が必ずあると思います。
コンビニで買った本ですが、すごく良かった一冊です。
ご興味のある方は一度、読んでみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。この記事が面白かったらTwitterリツイートやシェアボタンでの応援よろしくお願いいたします。
コメント