先日から、渋沢栄一の『論語と算盤』を読み始めています。
最初は原文の本を読んでいたのですが、どうも読みづらいので、現代語訳版にしました。
なぜ現代語訳を勧めるか?
この本の元になったのは渋沢翁の講演を書き起こしたものなので、話し言葉で語られています。
本来なら読みやすいもののはずです。
しかし、講演がなにぶん100年くらい前ですから、
当時の人たちと私に知識の隔たりがありますし、私自身が論語をそんなに読んだことがない(高校の漢文の授業だけ)ので、そこがネックになりました。
人によっては、「原典にあたるべし!」という人もいますし、
そのメリットがあることも承知しています。
たとえば、何年か前に流行った『ニーチェの言葉』のようにあまりに細切れにすると、本来の大意が妙にわかりやすくなりすぎてしまったりする、ということがありますし…
しかし、まとまった内容を全体的まとめた現代語訳なら、そういうことはある程度防げると思います。
現代語訳版だと、そのまま読める。
昔なら力技で読んでいたでしょうが、やっぱり便利なものを活用するべきだと私は思いますね。
資本主義には、道徳が必要
内容ですが、一言で言うと「道徳を伴わない商売は健全なものではない」ということです。
渋沢栄一は、まだ生まれたばかりの日本の資本主義を健全なものにために、今も日本で活躍する有名企業を多数立ち上げました。
それは、かつて徳川昭武に従って渡欧した経験が大きかったと思います。
そして、欧米での資本主義がプロテスタンティズムという宗教思想の元で育ったことを直感的に理解していたのではないか、と思います。
しかし、長年キリスト教は禁教とされていた日本で、
形だけの資本主義を導入することはキリスト教的な道徳観から資本主義を切り離す恐れがある。
形ばかりの資本主義を導入したら
利益のみを極大化させることに奔走し、社会の健全な成長に利さないグロテスクな企業を生み出す懸念もありました。
そこで比較的日本人になじみがあり、
自身が学んできた論語との両立を思いついたのではないかと思います。
オーソドックスの強さ
『論語と算盤』を読んでいると、
いわゆる自己啓発系の本とは別の、ホンモノだけが持つオーソドックスさを感じます。
今、ネットワークビジネスなどではびこっている、
『カネが全て』という金銭崇拝は健全ではなく、自分たちの利益だけを追求するのでは片手落ちで
やはり利用者に金銭以上の利益を与えてこそ王道といえます。
そんな企業は社会に存在しうるし、そういう人間が活躍した方がいいのは間違いない。
ハデさも奇をてらったことも書いてないのですが、これこそど真ん中の強みですよね。
誰でも分かるし、だけどなかなか実践するのは難しいことを
「それでも大事である」と確認できます。
そして、どんなに社会が変わろうと、その社会を動かすのが人であるということから、
渋沢栄一の思想や考えかたは古びることはない、と思います。
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