令和2年もあと2週間ちょっと。
昭和生まれの私は、平成も飛び越えて令和に入りますます、オジさんになりました。
いずれ令和生まれの子たちに「おじいちゃん」と呼ばれるようになんでしょうね。
どの時代でも年末年始というものは、楽しいものなのは変わりません。
そして子ども時代の昭和末期〜平成初期の年末年始は今の私にとっても、懐かしく楽しいものでした。
この時代というと思い出すのは
光GENJI、ドラクエⅢ、昭和天皇の病状のテロップ、井上陽水の口パクCM、24時間戦えますか?、バブル景気…
などが頭に浮かびます。
この投稿では、そんな時代、子どもの頃楽しみだった親戚総出の餅つきの思い出を振り返ってみたいと思います。
なんとなーく、昭和な年末をイメージ出来たら幸いです。
祖父の家に「全員集合!」
盆と年末年始には、父方の祖父の家に叔父叔母、従兄弟、祖父の義弟家族、
そして私の家族が一堂に集まるのが恒例でした。
近所に住んでる従兄弟まで含めると
総勢20人弱。
大人は一番奥の居間で酒盛りや世間話に花を咲かせ、子どもたちは玄関を上がってすぐ左手にある客間にたむろしてました。
当時もうファミコンはありましたが、テレビのない部屋ですし、何しろウチのじーちゃんが大のテレビゲーム嫌いなんで
大きなコタツを囲んでミカンや落花生をつまみながらトランプやカルタ、ウノなんかを楽しんでいました。
私は長男坊で、上に兄や姉はいませんでしたから
イトコのお兄ちゃん、お姉ちゃんに弟的ポジションで甘えられる盆暮れは、
当時ファミコンに夢中だった私がファミコンができなくても全然ヘーキでいられ
むしろ進んで飛んで行きたいくらい楽しいイベントでした。
年末の「餅つき」
特に年末は、みんなでワイワイと餅つきをするのが定番で、
大量に作ったお餅をみんなで分け合い、持ち帰ってお正月に食べるわけです。
この餅つきは前日から、もち米をよーく水に浸すことから始まります。そして、翌朝3時には、親達が起床。
大人勢は母屋の前に残っていた旧母屋のかまどに火を起こし、
お湯を沸かしてセイロでもち米を何升も蒸し始めるわけです。
そして、朝の6時ごろ…
我々ちびっ子どもが起床し、白い息を吐きながら作業に加わります。
セイロから蒸しあがったもち米をでっかいアルミのボウルに移し、15〜20メートル離れたじーちゃん家の敷地にあるプレハブ小屋、
通称「漬物工場」に運び込みます。
漬物小屋は、コンクリート打ちっぱなしの床で、前室と奥の間のふた部屋の構造になっていました。
前室には、蒸しあがったもち米をすりつぶすために電動の「みそすり機」が用意され
上から蒸したもち米を入れて、すりこぎみたいな棒でグイグイ押してやる
そうすると、もち米がすりつぶされて
横からうにゅ〜…って出てくる。
これを木べらでこそぎ落として水を張った大きなボウルに受け、奥の部屋へ。奥には臼と杵がスタンバイして、ウチの父親を含めた男衆が杵を、祖母や大叔母を先頭にした女衆が、臼の餅を手水をつけて捏ねる役を担当するわけです。
始めたときは真っ暗ですが
ペッタン、ペッタンと餅をつくうちに夜が明けてきて、
湯気と白い息を朝日が黄金色に染めていくのがとてもキレイだったのを記憶しています。
ビニール袋に入れてのし餅を作る
そうやってつき上がったお餅はこれまた前日に用意していた水に浸けておいたビニール袋に入れてのし棒で広げていきます。
ここで初めて、ちびっ子軍団である我々の出番となります。
つきたてのお餅は、
油断するとやけどしそうなほど熱いけど、柔らかくて子どもの力でもよく伸びる。
そして袋の隅には千枚通しでアナが空けてあるので、餅を隅まで伸ばしていくと穴から空気が抜けていく。
出来上がりは大きな餅シートみたいになります。
出来上がった「餅シート」は木箱に一枚、一枚と載せていきます。
冷えるとカチカチに固まるんで、
後で食べるときは袋ごと四角く切って、ビニールを外して焼く、ってあんばいです。
ちゃんと手でついたお餅は今思い出しても中々絶品で、なめらかで美味しい!
そのせいか、今市販のお餅を食べると「イマイチだな(´・ω・`)」と思います。
あんぴん、鏡餅も手作り!
作るのはのし餅だけではありません
女衆はひと口サイズの餅に前もって作っておいたあんこ玉を包む作業も始まります。
大人達は「あんぴん」と呼んでいたものです。
おそらく信州の呼び方ではないか。音から餡餅と字を当てると思います。
要は大福みたいなアン入りのお餅なのですが、大福と違い冷えたらカチカチに固くなるので、
固くなると焼いて食べたりしました。焼いたあんぴんは、
香ばしい香りとあんこの甘さ(コレがベタベタに甘い)が相まって中々いけました。
*ちなみに埼玉県の加須市周辺だと、餡が塩味の「塩あんびん」というものがあり、コレは焼いた時に砂糖醤油につけて食べます。
話は餅つきの話に戻します。
みんながのし餅とあんぴん作りをしている時に手先の器用なウチの親父が家族の数のミニサイズの鏡餅を作っていました。
大きな板の上にたっぷりと片栗粉をふり、手でまんまるに丸めていきます。
そうやってそれぞれの家用の「のし餅」「あんぴん」「鏡餅」を分業体制で作っていくのです。
作業は後片付けも含めて朝の10時ごろにはあらかた終了。昼までかかる事はありませんでした。
そして、コレでお正月のお餅の準備は万全!というわけです。
もう、無いから懐かしい…
この行事は祖父が健在の時は続いていたのですが、私が19の時に祖父が他界し、その後は自然消滅となりました。
こういうイベントは音頭を取る人がいないと残りません。何よりも、子どもだった我々が大人になり、結婚だ、進学だ、就職だと
巣立ったことも大きかった。
さらに働き盛りだった親世代がシニア世代に入ってそれぞれの家が孫を持ち
バラバラになってしまったのも大きかったと思います。
とはいえ、あの時の身内でお祭り騒ぎしながら餅をついた思い出は、
今でも夢に見るほどなので、ちょっとココで披露してみようと思いました。
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