最近、帰宅後に時間ができるのであれこれ日記ともネタ帳とも言えないブログを書いてます。
今回紹介するのは「昭和天皇が相撲の勝敗予想をして楽しんでいた」というお話。
私の時代の昭和天皇って謹厳実直なおじいちゃん、という感じ。
微笑むことはあっても、何となく表情は品がある。
でも、この写真を見た時思わず「おおっ!」って驚いてしまいました。
こんな楽しそうな陛下の顔って、あんまり見たことないなぁ、と思った次第です。
元々すごい好角家だった昭和天皇
迪宮裕仁殿下(後の昭和天皇)は子供のころから相撲好きで、よくご学友や周りの者と相撲に興じられていたそうです。
天皇になってからも、その好角家ぶりは有名で「手を知ってるから相撲を見るのは面白い」と記者会見で発言されています。
ひいきの力士の一人が、初の外国人力士高見山。
かつて高見山が引退した時に、たまたま近くにいた森喜朗文部大臣(当時)に
「高見山はどうして辞めたんだね?」と尋ねられたとか。
森さんがるる説明したのを聞いて
「そうか、高見山は残念だったろうな」とつぶやいた昭和天皇。
森さんは「もしかして高見山がお好きなのですか?」と陛下に尋ねると、
「大変に関心を持ってるんじゃ」とお答えになったそうです。
昭和天皇に限らず、歴代天皇は好き嫌いをあまりお示しになられません。
それは、自分の一言がまさに「綸言汗の如し」で予想もしないところで影響するからです。
ちなみにこの時代で「好きなテレビ番組」を尋ねられた昭和天皇は
「テレビは色々見てはいますが、テレビ会社の競争がはなはだしいので、今何を見ているかはお答えできません」
とお答えされて、記者たちを爆笑させたのもこの頃です。
ちなみにこの昭和天皇が、当時のお色気番組『プレイガール』を見たという記述を、ブログ主は調べて記事にしたので、ご興味のある方はコチラをご覧ください。
側近と「トトカルチョ」を楽しむ
さて、それだけ様々な知識や見方を心得てくると、やはり面白いのは勝敗予想。
そこで、侍従や侍医たちを集めて「今日は誰が勝ち、誰が負けるか」予想して楽しんでいたそうです。
とは言っても、天皇もお出かけなどでお忙しい日程だったりすることもあるのですが、
皇居には体調などの日々の報告とともに「陛下の勝敗予想」が送られてきたとか。
もちろんですが「生まれてこの方、崩御されるまでお金を使ったことのない」昭和天皇でしたから、お金をかけることはしませんでした。
しかし、一番的中率が高かった人に、賭けに参加した人たちがお金を出し合って作った
力士に贈られるものを50センチくらいに小さくした優勝カップをあげたそうです。
そして、景品はもう一つ。
昭和天皇の次に的中率が高かった人には、陛下のすぐそばを付いていった
ということに引っ掛けて「醜(しこ)の御盾」(天皇の楯となって外敵を防ぐ者)だと
盾が贈られたそうです。
ちなみに、側近の証言だと昭和天皇は「穴狙いの玄人好みの予想」をされたそうで、
新聞のスポーツ欄やスポーツ新聞を熟読し、研究を重ねておられたとのこと。
頭の中で様々な力士の取り組みを、「この手できたら、こう返して…」とシミュレーションを楽しんでいたのかもしれませんね。
ちなみに表彰式は吹上御苑の談話室。
先ほどのミニ優勝カップや盾を陛下自ら「おめでとう」とプレゼントされていたそうです。
まさに、天皇賜杯(笑)。このミニ優勝カップは持ち回りで新しい場所に返上しますが、その代わりに優勝者には名前入りのさらに小さい優勝カップが贈られます。
サイズはピースの箱を重ねたサイズ。これは永久に持っていていいとのことです。
そして「表彰式」が終わると、天皇の「おごり」でウナギをごちそうしてくれるのが習わしだったそうです。
ちなみにこの「相撲トトカルチョ」
秘密でもなんでもなく、昭和末期に刊行された『上着を脱いだ天皇』『天皇さまお脈拝見』などの本で当時の侍医の方が証言された内容です。
公式には好き、とは言えず「大変に関心を持っている」とぼやかしていた昭和天皇が、
ひいきの力士の取り組みを思い浮かべてこんな遊びに興じていた、
というのは、なんかかわいくありませんか?
昭和天皇関係の記事
この本『上着を脱いだ天皇』には、
侍医と「フグをどうして食べてはいけないのか?」を議論した「フグ論争」の顛末も記録されていましたので、このブログでも記事にさせていただきました。
また、思わずフフフとなるエピソードもまとめてみました
そして、皇后のエピソードもちょこっとまとめてみました
ぜひ、合わせてお楽しみください。
【参考文献】
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