「勉強に近道はない」が近道という、身も蓋もない話

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40歳を超えてから、俄然勉強が面白くなりだした。

もともと、子供のころから「やりこむ」ことが異様に好きだった。

ファミコン版(歳が分かるな…)のウィザードリィ3は、レベル上げ『だけ』に熱中して、レベル5000まで上げちゃったりした。

職業による経験値のギャップを利用したレベル上げの裏技もあったけど、そんな事を一切しないで、

延々とマジックガーントレットを殴り続けるという、究極の単純作業で…

マジックガーントレットは高い経験値×2という美味しいモンスターでした。ただ、レベルが低いパーティは先手を取られて最強呪文2連発で焼け野原にされます。

今は勉強がウィザードリィに置き換わっただけ、とも言えなくもない。

そう考えると偉い話でもなんでもないですね。

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「勉強の近道」を探して大失敗!

もっとも、勉強を「やりこむ」ようになったのは、大学以降の話。

高校生までは、色々言い訳を言っては勉強に本腰を入れることはなかった。

例えば英単語を覚えるとする。

英単語を覚えるのはホント地道にコツコツやっていく外ない。

あれだけウィザードリィで単純作業に慣れていたのに、英単語が経験値と同じに見えなかった。

あと、「地道にコツコツと」がなんか鈍臭い気がした。

もっとスマートに、もっと効率よく…と思ってた。

英文法とかは割合やっていたんだけど、間抜けなことに、分からない英単語を放置した。

「自分のような秀才(と当時ホントに思ってた)には、そのような勉強はいらない!俺は出来る!!」と謎の確信を持っていた。

しかし、勉強なんて単純なもので「テストの点」という至極分かりやすいモノサシで、進捗は一発で分かる。

ならばと地道にやらなくて、効果が出るものを探し始めた。

記憶法の通信教育とか、最低限これだけ覚えりゃOKな英単語600とかそんなものに手を出しては消化不良を繰り返し、

高校3年間はあっという間に空費されちゃった。

最後の方は、「英語抜きで合格点を稼ぐ」コトを考え出した。ここまで来ると、末期。

だって、行きたい大学、配点が「英語と国語が150点満点、社会科(世界史)が100点満点」とか、そんなのばかり。

入試は7割くらい取れれば大体受かるけど、280点のうち国語と世界史で250点を取れ、ってか?

今の私が後ろにいたら、

「甘い!砂糖にガムシロとハチミツ混ぜるくらい甘すぎる!」

とハリセンでぶっ叩いてますよ!

…当然受験に全敗し、18の春は、「サクラチル」の特出しセールになりました。

失敗して、真逆に舵を切る

さすがにそんなことじゃダメだと、

多分生まれて初めて初めて危機感を感じて、

一浪した私は「偏差値40からの大学受験」をうたった某慶応進学会にワラジを脱ぐことにしました。

ここで待ってたのは、高校受験レベルからの徹底的なやり直し。「本科英語」という、ひたすら単語と熟語を覚える授業があった。

授業時間はテストのみ。終わらなきゃ帰れないというシンプルなルール。

そのかわり、テストに合格したら、時間内でも帰って良かった。

言っちゃなんだけど、周りは能力もモチベーションも0に近いバカばっか!!

こんな連中に絶対負けたくないと、元秀才は発奮したわけです。「覚えてりゃいい試験なんだから全部一発でパスする」と決めて、一週間に一度のテストに備えた。

単語の覚え方はいたってシンプル。

100円ショップにあるような子供の落書き帳とボールペンを買ってきて、使い捨てるように書いて、書いて、書きまくった。

当時はリスニングの試験がなく、「読めれば使える」のでとにかく書いた。猛烈に書きまくっていると、ボールペンがインク切れになる。

その度に、また紙が真っ黒になるまで書ききる度に、謎の達成感を感じるようになった。

「今日はボールペン2本!」とか、単語覚えてんだか、インクを紙に擦り付けてるんだかわからない様な有様になる。

だが、こんなことを半年ほど続けたら、単語力も熟語力もついてきたし、全然苦じゃなくなるんだな、これが。

そしてそこまで行くと、なんかスイッチが入って、それまで頭に入んなかった英単語が、スイスイ入ってきた。

そうすると、かつて買って「机の肥やし」になっていた単語集、熟語集をやり直す気持ちになった。

英単語ターゲット1900や、英熟語ターゲット1000という、

当時受験生の定番アイテムを私も持っていて、例によってろくすっぽ使わずに放置していたのをガリガリやり始めた。

予備校の授業で単語テストがあるくらいだから、以前より知っている単語も増えていて、

ターゲットが「知らない単語チェック」になっていた。

その後の細かな経緯は省くが、翌年春は9戦7勝。

一番苦手だった英語を得意科目に変えての、正面突破からの勝利だった。

もっともこの勉強法、今なら大分路線変更をすると思う。

最近はリスニングがあるからね。

当時の予備校の先生には「ローマ字で読みゃいいんだ!」などと言うえらく割り切った指導をしていた人もいた。それに、社会人になってから「只管朗読」を覚えて、これが一番いい、と分かった。

それで20年近くかかったわけだから、全くスゴい時間をかけて学んだものだ。

「勉強に近道はない」コレが近道

勉強法は少しでも問題点を改善しながら、試行錯誤を繰り返している。

ただ、一つ断言出来るのは、上手いやり方はあってもそれによって努力の総量が減ることはない、ってこと。

とくにどんな事でも、やり始めは覚えなきゃいけない事がベラボーに多い。

それを地道に覚えるためには、それなりに脳に負荷をかけて記憶するほかない。

どんなに時代が変わっても、その一点は決して変わることはない、と思う。

「やらなきゃいけないものは、やらなきゃいけない」のだ。

「近道などない。もうやるしかない!」と覚悟を決めて、ガムシャラに取り組んでから、力もついたし、面白さも知った。

何より最短距離で目的地に着く。

「時はカネなり」というが、とんでもない。浪費した時間はカネでは買えないのだ。

40過ぎて、おそらく同じ月日を生きられるかどうか、となると

昔湯水のように使った時間の浪費が、つくづくと身に染みる。ムダなことにわき目を振っているのは時間のムダに他ならない。

楽な方に色目を使いたくなるのが人間の弱いところだけど、「そんなものはない」とバッサリやっちゃうと、

変な回り道をしなくて済むよ。

ただ、やっぱりコレは一回やって見なけりゃ分からないのでしょうな、きっと。

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