昭和天皇はこんな物を召し上がった~お食事面白エピソード集~

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今では大分有名になった、「天皇陛下のお食事」。

僕の本棚には、昭和天皇に仕えた2人の本が仲良く並んでいます。

                   読み込んで大分へたっていますが、今でも時折開いています

渡辺誠さんの「昭和天皇のお食事」と谷部金次郎さんの「昭和天皇と鰻茶漬」です。

渡辺さんはフレンチ、谷部さんは和食を担当し、昭和天皇の晩年に一緒に仕事をした『元同僚』が生前の陛下を偲んで書いた本です。

読むと昭和天皇の、質素だけど微笑ましいエピソードがてんこ盛りなので、たまに和むために読んでます。

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お食事は質素だが…

以前、渡辺さんがテレビ出演した際、皇室の日常の食費は一般家庭程度と話していました。

宮中晩さん会や、園遊会とは別の予算で、そこには料理人の給与なども含まれるそうです。

朝食は洋風で、トースト(オートミール、コーンフレークの時もあり)サラダ、野菜料理、ミルクなどを召し上がり

昼と夜は和食、洋食が順番に出るといった具合だったそうです。

お米は標準米(目黒の小黒商店が納品したもの)に麦を混ぜ、お魚はサバやサンマなど、大衆魚が食膳に上ります。

意外なところでは、チャーハンやラーメン、お蕎麦なども食卓に上り、特にお蕎麦は毎月末日に「晦日のソバ」をお楽しみになったのだとか。

しかし一品一品は庶民的で平凡ですが、心づかいが半端ないです。

例えば陛下用の焼き魚は一本一本小骨まで抜くといいますし、スイカは種を取り出した形で提供されるそうです。

出されたものは、すべて食べられるというのが陛下のお食事の掟だったそうで、

一回、説明せずに柏餅を出したところ、昭和天皇は、柏餅の葉っぱまでお召し上がりになったこともあったとか(さすがに硬い葉脈は食べられず、残してしまったそうです)。

また逆に、若き日の渡辺さんが「良かれと思って」大好物のふかし芋の皮を剥いてしまい、お付きの女官から大目玉が飛んだこともあったそうです。

「皮のところがおいしいのに(´・ω・`)」って、私の好みとおんなじですな、陛下…。

ビックリするほど、正確に…

お二人が入りたての時は「天皇の料理番」秋山徳蔵氏が健在で、そりゃもう大変な仕事だったようです。野菜は太さの同じものを定規で図ったみたいに切りそろえ、太さもミリ単位での正確さ。

ジャガイモ(白芋というらしい)は皮をまん丸く剥かねばならず、まな板で真っ直ぐ転がらないと、ちゃんと剥けてないからと全部、ゴミ箱行き。

丸い野菜を「四角く切」って、端は落とし、お刺身は肉質をみて、食べやすいように厚さを変える、といった具合。

求められる技量のレベルがはるかに高いので、一人前になるまで2、3年かかったとか。

そんな仕事の中で、少しずつ賄いを作ったりして腕を磨き「これなら大丈夫」と実力を認められると、やっと陛下に料理を作ることが許されます。

許されたら許されたで、もんのすごいプレッシャーだったそうです。

箱根芋が上手に炊けない!?と料理番大弱り

私がこの本で特におすすめのエピソードが、箱根芋の話。

1955(昭和30)年10月、強羅環翠楼にお泊りの際に出た「箱根芋の蒸し煮」を召し上がって、大変お喜びになったというので、

毎年時季になると環翠楼から箱根芋というお芋が献上されました。

この芋、私は知りませんが、谷部さん曰くヤツガシラ芋に食感が似ているといいます。

ヤツガシラは、サトイモに似た葉っぱをしていますが、イモはもっと大きくごっつくて、煮ると粘りが少なくホックリした感じに仕上がります。

ところが、これがどうしても上手く煮ることができない。

どうも芋のあくが抜けなかった様で、ねずみ色っぽく、見た目も美味しそうではない。召し上がった陛下も「これは箱根芋ではないね…(´・ω・`)」とショボーン…

ご所望の箱根芋がうまくいかず、さすがの秋山徳蔵さんもどうしよう(´・ω・`)と頭を抱えてしまったといいます。

この時、谷部さんが機転を利かせて「コメのとぎ汁で下茹で」したら、あくが抜けることを発見!早速秋山さんに見せたところ、「谷部にやらせてみよう」となったそうです。

その芋をお食事に出したところ、陛下から「ああ、これだこれだ!美味しい(^O^)」と言っていただいたそうです。

「自分の料理したものを陛下が喜んでくれた」と谷部さんの喜ぶ姿が目に浮かんでくるようです。

*ちなみに、雑誌「サライ」2006年8月17日号の記事で当時の環翠楼の2代目、鈴木栄之助さんによると陛下の喜んだ「箱根芋の蒸し煮」は、今は問い合わせがあっても出せない、と語ります。

「現在は昔のような箱根芋を作れるような農家が地元にはいなくなってしまいました。煮含めただし汁も鶏ガラを数日がかりで煮出したもの。似たようなものは出来ても、同じものはできない」ということでした。

昭和天皇の好物って何!?

有名なところでは、ですね。

うなぎの佃煮が献上されると、お茶碗に乗せてお茶を注ぎ「うなぎ茶漬」を楽しまれたそうです。

魚だとイワシやサンマといった大衆魚も大好き。

お芋も大好物で御巡幸のさいに、地元の人が恐る恐る「ふかし芋」を差し上げたらたいそうお気にいりになったそうです。

サツマイモはホクホク感が美味しいと感じる方が多いと思いますが、昭和天皇のお好みはベチャ芋。

毎年新嘗祭では、お夜食(およふかしと呼ぶ)も出ますが定番は「焼き芋」。

先述のようにお蕎麦も大好物で、著者の谷部さんの手打ちそば。

月に一度、お出しするとお代わりされることが多かったと書いています。食べ方は甘めのタレにネギやワサビは使わず、のりを入れて召し上がったたとか。刺激の強いものは苦手だったのかもしれません。

地方色豊かなものも興味があるようで、九州の郷土料理でエゴノリという海藻を固めた『おきうと』や、きな粉を付けて食べる『あくまき』なども喜ばれたそうです。

おきゅうとは青臭い感じらしいのですが、ローカルな食べ物はとりわけ関心が深かったようです。

苦手なものはお酒、フォアグラや薬味などの刺激の強いもの。

お酒は下戸。5歳の正月に侍医に酒を勧められて(明治時代の話ですよ!)寝正月になってしまい、それ以来受け付けなくなってしまったそうです。

【参考記事】

5歳でお屠蘇を飲まされ寝正月…下戸だけど味わい深い「昭和天皇とお酒」のエピソード
昭和天皇はお酒を召し上がらない人物ですが、周りとの和やかな雰囲気を大事にする延長で、お酒にまつわるエピソードが結構見つかりました。当時のなんとなく、ざっくばらんな雰囲気を楽しんでいただければ幸いです。

その一方で酒飲みが好きそうな『うるか』などもお好みだったと意外な一面も。

また、この2冊とは別に『陛下、お尋ね申し上げます』によると「お肉は好き」と発言していますし、『陛下のご質問』という本には、鶏のモモをむしゃむしゃ食べる様子が書かれていて意外な肉食系ぶりが面白いです。

昭和天皇は猫舌?

あと、まことしやかに流れている話は

「昭和天皇は熱いものが苦手である」というもの。

ただ、コレは典膳からお食事を差し上げる際に多少タイムラグができることに

話の尾鰭が付いた結果のようです。

実は陛下がお食事を召し上がる部屋には

スープを温め直すくらいの簡易的な調理スペースが設けられていたと言います

また、長年侍従として仕えた入江相政さんは

その著書『天皇さまの還暦』の中で

時々、鴨場で使う鍋で鴨を焼いてあがることがあるし、牛鍋を御自分でつっついてもあがる。

これがなによりの証拠、眼の前で焼けつつある牛鍋や鴨鍋が、なまぬるいというはずはないからである。(前掲書、50ページ)

とも書き残しています。

また、天ぷらの名店「天政」の店内には、

揚げたての天ぷらに舌鼓を打つ天皇皇后両陛下(当時)の写真も掲示されています。

この写真を投稿したYamatomoGoPackGoさんによると

x.com

ご店主が当時の思い出を語り「陛下はガブガブ召し上がった」と

話していたとのことですから、猫舌ではない一つの証拠にはなると思います。

タイを標本にして、アメフラシを食す?

こんなモノよく食べようと思ったものだ…

昭和天皇は生物学者としても活躍し、「裕仁」名義で専門書を出版しました。ある時、静養先で見事な鯛を漁師から献上されたのに、食べずに標本にしたこともあります。

かと思えば自分で調べて「毒がないから」とアメフラシを食べたこともあります。これは当時、ちょっとした噂になったそうで『陛下、お尋ね申し上げます』でも記者に尋ねられて質問に答えています。

感想は「美味くない」「臭いはない」。

逆に毒があるフグについては侍医から止められて終生口に出来なかったとか。

*これは『昭和天皇「フグ論争」の真相』というタイトルでまとめています。

昭和天皇vs侍医!両者が一歩も引かなかった「フグ論争」~コピペの真実はこうだった!
某サイトのコピペでもお馴染み、天皇陛下の「フグ論争」について、『上着を脱いだ天皇』から引用しつつ書いていきます。

料理人は陛下と直接話せたのか?

天皇陛下が調理担当とお話する機会は、普段は全くない様子。ご静養に行かれたときには、一緒についていく係が選ばれて出かけていき

お出かけ先で軽食を召し上がるときに、ちょっと一言二言話すだけのようです。

じゃ、だれが「美味しかった」とメッセージを伝えたのか?これは給仕をするお付きの方に「今日の担当は必ずほめるように」と伝言をし、伝えられたようです。

だから、時折直接話しかけられると、また緊張は別格だったようで…谷部さんの本では、園遊会で天皇陛下が天ぷらをご所望され、いつもならなんてことない天ぷらを、緊張のあまり上手く揚げられなくなってしまったのだとか。

出前も食べたことあり!

渡辺さんの本には、鰻を出前してもらったエピソードがあります。

鰻と一言で言ってもお店によってたれの味が違いますが、甘めのたれで有名な「野田岩」から取ったそうです。

市販のお弁当を楽しまれる

また、侍医の杉村昌雄さんが書いた『天皇さまお脈拝見』によると、静養先の那須で植物の採集をされていた時に市販のお弁当を口にされた経験もあるとのこと。

陛下はお体に配慮した特製弁当が用意され、お付きのものはかつてJR黒磯駅で売っていた『九尾ずし』が配られました。

お昼時に野原でお弁当を開いて…となったのですが、誰かが「陛下にも召し上がって頂いたらどうだろう?」と言い出し、陛下も弁当をのぞき込んで「ちょっと食べてみよう」と興味を示したそうです。

杉村さんとしては「まあ、煮てあるものではあるし、そう危険なこともあるまい、ということで、結局お召し上がりいただいた」とのこと。

「そういうとき陛下は、ちょっと悪戯をした子どものように、実に楽しそう」だったと書いています。

普段とはちょっと違う味付けに心躍る姿は、かわいいじゃありませんか!

皇居に生える植物を召し上がる話

戦中や戦後の話ですが、植物に造詣が深い昭和天皇は、皇居周辺に生えている野草から食べられるものを摘んで、コレを料理番に渡して料理してもらっていたそうです。

1976(昭和51)年8月23日に那須の御用邸での共同記者会見で

昭和天皇:野草といえばだね、たとえばバラボラジンギクとかツユクサとか食べたです。

記者:それはどうやって

昭和天皇:野草の本なんか、この頃ありますから。タデとかスベリヒユとかね。美味しいですよ。終戦当時はね。この頃は立派な野菜ができるからね。

と、質問に答えています。

私、このくだりを読んで「ああ、陛下は野菜が少ない時に『草摘み』で食べられる野草を上げてたんだな」と理解してました。

春に食べられる野草を摘むことは、草摘みと言って春のお楽しみの一つとして宮中でも行われていた事だったからです。

ただ、季節の味だと、その後もちょくちょく、ご膳に上がった様子で

中村賢二郎侍従の著書「吹上の季節」には

1987(昭和62)年4月23日に

皇居の果樹園の隅に生えているフキの群生から、調理担当の典膳が柔らかいフキを選んでいる様子が描かれています。

旬の味を通して、陛下も春の訪れをお楽しみになられたんでしょうね。

【関連記事】

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コメント

  1. kkz55898 より:

    黒浜駅でなく黒磯駅でしょう

  2. 通りすがり より:

    kkz55898様は色々とよくご存じの方なのでしょうけれど、どうしてこうも無愛想な書き方をされるのでしょうか。
    書き方次第、文字だけでは伝わらないものが多々あるということは、ネット社会になってより一層明確になってきていると思うのですが。
    謝意を述べておられるとーちゃん様は謙虚な方だなと感じております。

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