昭和天皇の長女が書いた「戦後のやりくり奮闘記」を読む

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この記事は、1949年10月に発表された、

元皇女の東久邇成子さん(1925~1961)の『やりくりの記』を現代の漢字、かなづかいに改めたものを掲載します。

東久邇成子さん(写真はNHK『私の秘密』に出演時のもの)

東久邇成子さん(写真はNHK『私の秘密』に出演時のもの)

東久邇成子さんは、昭和天皇の第一皇女で、東久邇宮盛厚王と結婚しました。

戦後、東久邇宮家は臣籍降下で一般国民になりました、と同時に莫大な税を財産にかけられ、一転「タケノコ生活」と呼ばれる苦しい毎日を経験します。

その時代をようやく乗り切って、さあこれから、という時に末期がんが発覚。

36歳の若さで亡くなりました。

結婚前は皇女として、何不自由ない生活からの奮闘は、ご主人の東久邇盛厚さんをして、

戦時中の結婚でこれというものもなかったが、それを二束三文で売り払い、蔵にはただ空になったタンスの並ぶのを淋しく眺める生活が始まった…しかし成子は少しもこれに屈せず、鶏を飼い、プラスチック加工の内職をして戦後の人生再出発のため、薄給の私に後顧の憂いなからしめた…

と最大の賛辞を送ったほどでした。

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『やりくりの記』とはなにか?

そんな中、この手記は昭和24年当時の物資が不足し、お金もない中で家計をやりくりする姿を

当時の主婦雑誌『暮らしの手帖』の依頼を受けて、成子さん自身が執筆したものです。

読者からは「昭和天皇の娘である、照宮さまが自分たちと変わらない生活をされている」という驚きとともに

彼女の飾らない、日々の生活へのたゆまぬ姿勢、

また家族に向けるまなざしの優しさや、明日に希望をもって努力する飾り気のない姿が書かれ、読者に強い共感を与えました。

ブログで掲載する際に気を付けた、書き換えポイント

これが、現在の私が読んでも、実にいい文章で、何とか後世に残って欲しいと感じました。

とはいえ、原文は昭和24年に執筆されたもので旧漢字や古い仮名づかいなどが散見される

今の人には若干読みにくくなってきた文章でもあります。

ですから、今回ブログにそのまま載せるのではなく、今の私たちが用いる漢字、仮名づかいに改めることにしました。

また、今回は活字ではなく、スクロールで読むブログ形式での収録なので、

ブログに合わせて一つの文章を、長くなりすぎて読みづらくならないように改行を用い、

いくつかのエピソードが連なる部分は、スペースを置くことで文章に込められたメッセージがより分かりやすくなるように、若干の修正をおこなっていることを、まずご了承ください。

東久邇成子『やりくりの記』(『暮らしの手帖』第5号初出)

日本は変わった。

私たちもこれまでの生活を切り替えようとこの焼跡の鳥居坂に帰って来た。

やりくりの暮しがはじまったのである。

ここは居間の方が全部焼けて、ただ玄関と応接間だけが残ったので、

これを修理して、やっと、どうにか住めるようにしたのだ。

だから押入れが一つもなく、

台所と言っても、ただ流しだけで、配給のものなどを入れて置く戸棚もないので、

洋服ダンスの下方にしまったりしている始末である。

ともかく移ろう、

あとは移ってから、だんだん工夫して便利に改造しようと思ってのことだったけれど、

何やかに追われて二年になるのにそのままになっている。

 

広い品川の家に、昔ながらの習慣にひたって両親と共に暮す事は、

ある意味では、楽だと言う事も出来る。

しかし生活そのものを思いきりつめて、

むだな所を捨て、将来に大きな希望、明るい夢を抱いて、その実現へと、一歩一歩ふみしめて行くと思うと、

こんな生活でも、いまの暮しを私はたのしいと思う。

咲き誇った花の美しさより、つぼみのふっくらした美しさがほしいと思うからである。

 

しかし、自分たちだけの力で、何もかもしなければならないとなると、

本当に忙しく、またしっかりと計画を立ててしないと、この家庭生活は実に複雑である。

お魚や肉や果物など時々自分で買いにもゆかなければならない。

また時には銀座あたりに、身の回りの物など買いにゆく。

昔ならば安くてよいものが簡単に手に入つたけれど、今は高くて手が出ないし、

ちよっと変わったものになると、あちこちを探しても間にあわないものもある。

三度の食事も配給もので、大体まかなうのだけれど、

パンや粉ばかりの時があったり、お芋が何日もつづいたり、時にはトウモロコシ粉やコウリャンだったりすると、

どんな風にしたらよいか、中々頭をなやまされる。

大人はまだしも、育ちざかりの子供達の為に、栄養がかたよらないように

そして、おいしく頂ける様にいろいろ工夫しなければならないのだが、

そんなわけで、いつの間にか、お粉の料理は私の自慢料理の一つになってしまった。

 

衣服でも、子供たちのものは皆つくる事にした。

子供のものは、すぐよごれるし破けたりする上に、どんどん伸びて小さくなってしまう。

この間も、よそゆきのズボンを汚れついでに半日着せておいたら、

夕方には、早速垣根にひっかけたとかで、大きなカギざきを作って、私をがっかりさせてしまった。

下の子は今伸び盛りだから、去年秋に作って、

いくらも着なかった合着を春に出して見たら、丈も短く、首回りもなおさなければ着られなくなっていた。

こんな風なので、布地を一々買ったり洋服屋に出していたのではとても大変だから、

なるべく主人や私の着古しをなおしてこしらえるのである。

いろいろデザインを考えてすると、変わった可愛いい感じのものになり、これもまたやりくり暮しのたのしみである。

 

子供たちもやはり、きれいな着物が好きと見えて、新しく出来ると大喜びでそれを着る日を楽しみにしている。

たまの日曜日「今日はおばあ様の所へ行きましようね」と言うと、

「僕も」「文ちゃんも」と大はしゃぎをはじめる。

「電車にのって!」「こないだ作ったおべべを着て…」と言いながら一人でどんどん着物をきかえ、

靴下をはいて靴をはいて、玄関からとび出す。

いつもぐずぐずして「まだですか、まだですか」とよく言われるのに、その早い事、

そして私達の支度の出来るのを待ちこがれているのである。

たとえ父母のお古にしろ、さっぱりときれいな着物を着るのがうれしく、電車にのるのがうれしく、

その上父母と一緒に手をとられて行くのがなおうれしい。

日頃、家庭の仕事に追われてしまって「本を読んでちょうだい」と言われても

「今忙しいからあとでね」と相手にしない事がよくあるので

こうして生々とした笑顔を見ると、苦労して作ってやって、

ほんとによかったと思い、

私の心まで明るくはずんで来るのである。

 

話は違うが、子供といえば、四つになる文子が、いつの間にか小さな木箱を持つて来て、
象牙の牛を出しているので、

「おもちゃにしてはだめよ」と言うと、

「しまっておくね」と可愛い、くるくるした目をみはって、

いかにも悪かったという顔をしながら一生懸命牛を入れていたが、蓋がどうしても出来ない。

そこで私は「しめてあげましょう」と言いながら箱を取りあげると、床の上にはまだつめ綿がころがっていた。

「あらこんなところにまだ綿があったのね」と言うと、今までだまって私のする事を見ていた文子は、

その綿をかかえるなり大いそぎで、

まるではずんだゴム毬のように遠くへかけていってしまった。

私は「綿が欲しかったの」と思わず笑ったが

文子はいかにも勝ち誇ったように

部屋の隅でにこにこしながら綿をちぎって遊び出した。

純真無垢と言うか、そのあどけなさ、罪の無さ、

牛ならぬ綿のほしい子供の心理にはほほえまずにはいられない。

子供には子供の世界がある。大人には想像も及ばない世界である。

私たちはつい大人の考えから、ああして、こうしてと指図して

美しい子供心を圧迫してしまう事が度々あるのではないだろうか。

軟い宝石のような、そんな感じのする子供心を、

私は出来るだけ注意ぶかく見守り、傷つけないように磨こうと思う。

 

それにつけても、この頃のおもちゃの粗悪で、なんと高い事であろう。

店頭にたっても

これはと思って買えるものは少ない。

あれが欲しい、これが欲しいと子供達が言っても、

高いばかりですぐこわれる様なものばかり。

数はたくさん持ち合わせなくとも、

質のよい、本当に子供の発達を助けるためのおもちゃが容易に手に入るようになったら、

どんなによいであろう。

アメリカニズムを真似るのではないけれど、アメリカの雑誌や家庭で見るいろいろのおもちゃは

よく子供の知力の発達に役立つよう工夫されていて本当に感心させられる。

しかし、夏の仕度が整って、やれやれと思つている中に、

さわやかな風のおとずれと共にすぐに秋になってしまう。

もう今から冬の仕度にかからないと間にあわない。

 

去年は私の古いウールの上衣をなおして、作って見たが、ひと冬でだめになってしまつた。

今年は何を作ってやろうかしら、毛織物は家での洗濯が大変だし、

小さくなってもうなおせないので、冬は毛糸のものが一番良いと思う。

子供の為には暖く軽く柔かで着心地がよい。

ミシンの様に手早くは出来ないが、私は小さい機械を使うので案外能率的である。

 

焼け跡の大部分に畑もつくった。毎日の食生活を少しでも助けるためである。

夏の朝早く露をたたえて生き生きと輝いている

トマト、ナス、キュウリなど、もぎとってくるのも嬉しかった。

しかし、今年の春の頃は、畑に人参も、ほうれん草も、大根もなくて、

毎日春菊だの、わけぎだのと同じきまった野菜に、

今日は何を使おうかしらと苦労させられたものだ。

そして結局高い端境期の野菜を買わなければならなかった。

この苦い経験を生かして、

来年は多種類の野菜が少しづつでも、

絶間なくとれる様に、

殊に端境期に気をつけて菜園計画を立てようと思っている。

 

それにみどりばかりでもと、花を植えて、

焼け跡を少しは美しく豊かな感じにしようと思って

今年は一生懸命種をまいたり苗を植えたりした。

しかし生い茂る雑草は取っても取っても、すぐ後から生えて来る。

家の中の仕事に忙しくて、二、三日もうっちゃっておくと、

もう憎らしいくらい青々と伸びている。

それに肥料も少なかったせいもあって、残念ながらこれは充分私の目を楽しませる事は出来なかった。

 

このように台所の事、畑の事、縫物の事など、

朝から晩まで仕事に追われがちの私である。

庭の草花の一輪でも咲いてたら

部屋の片隅に生けて、そのささやかな美を味いたいと思いつつも、

普段はそれすら忘れてしまっている。

けれども、これではいけないと思う。

少しでも余暇をつくり、世界に遅れないように教養をたかめる事、

美しい音楽をきいたり、よい映画を見たり、あるいはいろいろの会合で多くの人に接すること、

またしずかに読書をして、ひろく社会の事を知り、新しい知識をとり入れる事をしなければと思う。

でも、どんな風にしたらその日、その日の家事が早く片付いて、

こうしたゆったりと落ちついた時間を持つ事が出来るだろうかと考えてみた。

 

この数年の忙しい毎日の暮しで、私が知ったのは、一つは仕事を敏速にする訓練と心掛けが必要だということである。

これは要点をつかんで無駄をはぶき計画的に仕事をすることだと思う。

忙しい忙しい、と思っていると、しっかりと、ものを考えて判断したり、

家庭の中の事柄の計画を立てるような事もなくなってしまう。

しかしよく考えて見ると

目先の事ばかりにしがみついていたのでは、やりくりでも、すべて上手にゆかないのではないであろうか。

もう一つには、いつも整頓する習慣をつけることである。

机の上には二、三日分の新聞がたまり、鉛筆が出しっぱなしにしてあったり、

台所道具がちらばっていたりすると、能率が上がらないばかりでなく、

いつの間にか子供のおもちゃになったり、なくなったり、こわれたりするものもある。

いつも定めた所にしまう様にすれば、手順よく仕事がはかどるようになる一つの手段だと思う。

 

世界は、社会はまさに混沌とした深い霧にとざされているように見えるが、

しかしその中にもある一点から、ほのぼのとした光がさし始めているような気がする。

私の生活もまた様々なもやにさえぎられて、今もまだ幾多の困難をのりこえなければならないが、

これは私たちだけではない、日本中みんな苦しいのだから、

この苦しさにたえてゆけば、きっと道はひらけると思うと、

やりくり暮しのこの苦労のかげに、はじめて人間らしいしみじみとした、喜びを味う事が出来るのである。

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【引用元】

 

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