敷島の 大和心の ををしさは 事ある時ぞ あらはれにける
(明治天皇御製)
この記事では、2011年3月11日の出来事を活字を通して
もう一度、思い出そうという内容です。私自身「もう10年経ったのか」という時の流れに驚かされますが、埼玉の片隅で経験した些細な経験でも、私は一生忘れないでしょうね。
震災から10年を経る、今年改めて当時の苦闘ぶりを読み返し、
現在コロナ禍にいる我々が「あの時に学ぶ」ものは、と考えながら紹介したいと思います。
『遺体』~震災、津波の果てに
最初に紹介するのは、石井光太さんの『遺体』です。
本書はノンフィクションですが、後に西田敏行さん主演で映画化もされました。
舞台は岩手県釜石市。ここは津波に見舞われた地域、津波から免れた地域が存在します。
震災当時に救助活動に当たった地元民も多く、津波に巻き込まれた人が知り合いというケースも珍しくないわけです。
前日まで何事もなかった人間が命を失い、
遺体安置所に足の踏み場もないほど、続々と運ばれてくる様子は
もし自分が当事者なら、とてもまともではいられないだろうと思います。
しかし、そんなことは行っていられないわけです。現実は冷然と目の前に展開されるわけですから。
私はこれまで様々な本を読んできましたが、これほど読みにくかった本はありませんでしたね。
映像で繰り返し流されてきた津波の凄まじい災禍が実際、どのようなものだったか、いやというほど追体験できます。
しかし、読むのをやめようとは思えませんでした。
もしかしたらここで起きたことは形を変えて僕のいるコミュニティーに襲い掛かるかも知れず、私が、あるいは友人が亡くなられた方の立場になるとも限らない。
特に強く印象を受けたのは、遺体が何百体の数に上り徐々に感情が磨耗してくるところです。
死後硬直が起こった肉体は、ガッチガチで姿勢が「気をつけ」のようにならない。
そうすると、骨をバキバキ折ってムリヤリ姿勢を正したりさせなきゃいけなくなる。
だけど、彼らは間違いなく、生きていた人間であり、名前があり、家族がいる。
笑い、泣き、喜び、悲しむ出来事を経て生きてきた一人の人間なんだ、という感覚を現場の人々が取り戻していく姿が、ものすごく引き付けられます。
安置所で遺体に接する時、そこで働いていた方が遺体に対して名前を呼び、
語りかけることでモラルハザードを克服した描写には、涙なくして読むことができませんでした。
『6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録』
震災発生時、
宮城県石巻市の地元紙「石巻日日新聞」は6人の記者が取材で外にいたのですが、
それぞれが別々の場所で地震や津波に遭っていたそうです。
ご家族の安否や自宅は無事か、そもそもどうやって移動すればいいのか、食料は…と不安も多かったに違いありません。
そんな中で各地の状況を正確に把握し、各自会社に戻ってきました。
社長さんも社長さんで社員の安否を気遣い、
一方で新聞を印刷する輪転機をはじめインフラは全部ダメという状況の中、
とにかく正確な情報を集め、手書きで壁新聞を制作します。
その動きは早く、震災翌日の3月12日には壁新聞1号が市内の要所に貼り出されたそうです。
地元の人々のために目の前の事実を正確に伝える…
同紙の皆さんの奮闘を通して自分の仕事に思いを強くした次第です。
最終章の『人の心に届く報道とは何なのか』は短いながら、
今ただ、大事な事に目をつぶり、ひたすらに事態を煽るだけの無責任な報道に終始する姿勢を見直す内容になっていると思います。
今報道に携わる方にも参考になるのではないでしょうか。
『東日本大震災秘録 自衛隊かく闘えり』
大震災の際、自衛隊が獅子奮迅の活躍をしたことは今では多くの方が知るところとなっていますが、
報道ではどちらかというと、大震災の中で大まかな流れの中での自衛隊を取り上げるものが多かったかなと思います。
ボランティアとか、被災地については繰り返し放送されていましたが、
自衛隊そのものに光を当てていたのは以前youtubeにアップされていた2時間特番位だったと思います。
この本は一冊丸ごと、震災時の自衛隊の活躍を描いたもので
これはこれで、読んでいて涙がにじむものでした。
特に子どもの手紙が泣ける。
有名な『うみちゃんからの手紙』だけでなく、
肉親を失った悲しみ、動揺を必死でこらえ、助けに来た自衛隊の活躍に感謝し、身体を案じる手紙が多いことに驚きます。
また、家族の安否を案じながら自分のことよりも任務に励む自衛隊員の姿に深く心を打たれました。
しかしながら、読んでいて不満も若干、あります。
著者が、自分の文に酔っているきらいがあることです。
もっといえば、カッとなりすぎて、著者が冷静になっていない。
自衛隊に思い入れがある、これはいい。
だけれど余りに思い入れを強めすぎると、却って自衛隊と被災地の姿がヘンな色眼鏡で通されたような、妙な違和感を読み進めて行くうちに感じるようになるのです。
繰り返しますが、己を捨てて公のために頑張ってくれた自衛隊員の、献身的な努力には本当に頭が下がります。
私も「ありがとう。大変だったでしょう、任務お疲れ様です」という気持ちは著者と同様ですが、
それを著者が余りにも露骨に出してしまったために、却ってリアリティを欠く筆致になってしまっています。
そういった意味で、最近映画化された『遺体』のようなストイックな描写の方がより、事実を強く印象付けられたはずで、その点が大変残念だと思います。
『死の淵を見た男』吉田昌郎と福島第一原発の500日
震災から程なく起こった福島第一原発事故の指揮官、
吉田昌郎所長と福島第一原発の危機的事態の収拾にあたった現場職員の記録。
当時ぼけっとしていた私はさして危機感を感じてはいなかったが、あの時もしかしたら関東一円が大混乱に陥る可能性を秘めていた事をこの本を読んで改めて痛感した。
吉田所長に関しては、震災前の防災対策で防潮堤などで手落ちがあったらしい。
この辺は僕も良く分からないのだが、実際に原子炉が制御できなくなった時、
現場の方々が文字通り『命をかけて』最悪の事態を回避したのは事実なので、素直に読むことにした。
吉田所長は中々魅力的な人物で、日本人には珍しく死を常に意識する人だと思う。
日本の組織をここで語るのは不適当だが、現場が献身的な仕事でものすごいパフォーマンスを上げる一方で、上は基本空回りする。
特にK元総理大臣(当時)などは迷走ぶりがすさまじい。
あの時、民主党政権だったけど、クレーマーは所詮クレーマーでしかなかったな、と
最近のあの政党の所業を見るたびに、この時のことを思い出します。
官房長官、あの人だったし…
ともあれ、福島第一原子力発電所の処理問題は、現在を生きる私たちにとって解決するべき大切な問題であり、
あの時食い止めてくれた原発職員の方々の努力を無にしてはいかんな、と思っております。
ちなみに、私個人の東日本大震災経験は、こちらから…
昔の自分の投稿から、東日本大震災を振り返る | 読んで学んで、考えて〜フェイクの大海を泳ぎきるために (idliketostudy.me)
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