世間では勤労感謝の日ですが、私自身はヘトヘトでどーも具合が良くないです。
最近、特に雨の日には鬱々とした気持ちが強く出るようになってきました。
こんな日は静かに体を休めるに限ります。人と会っても不愉快にさせるばかりだしね。
先日『ドリフターズとその時代』を読んでいましたが、
今日は、しばらく読んでいなかった中村賢二郎さんの『吹上の季節』を読んでいます。
この本は、昭和天皇が崩御されるまでお仕えした、元侍従の中村賢二郎さんが
最晩年の陛下のご様子を、四季や植物にからめて書いた一冊です。
この本は昭和62年くらいの昭和天皇の日常を描いたシーンが多いのですが、このころ陛下は人生最後の著書となる『皇居の植物』執筆に自身の時間を使っていました。
そんなわけで、皇居や御用邸を散策した時に、どんな花が咲いていたか、どんな植物に目をとめられたのか
そういった事が細々と描かれています。
雑草という草はない
驚くのが、この著書の中で、そういった植物の一つ一つが全部名前で表記されていること。
以前、私がTwitterで「雑草という草はない」という昭和天皇のお言葉を紹介したことがあるのですが
地方にお出かけになった時
「ここから先は雑草です」といった案内役に
「雑草という名の草はない」とお答えになったのは
有名なエピソード。
でも、そのエピソードには続きがある…ってのは、あまり知られていない。 pic.twitter.com/tgieqcY2mn— とーちゃん(さん付け不要) (@knightma310) October 23, 2022
その言葉が全然嘘じゃないくらい、ビックリするほど植物の名前も、植生も、特徴もご存じでいるということ。
…私は植物が全然詳しくないので、花の名前を聞いてもチンプンカンプンなんですが
著者の中村さんが一つ一つ、丁寧に上げている植物名を挙げているのを読んでいると、
昭和天皇の目から見ると、そういう風に見えているんだなと想像できるのが
すごくいいんですよね。
書き間違いは許されない…著書の表記に細心まで気を配る姿
もう一つ、この本で印象的なのは
事実関係をキチンと調べて、決していい加減な書き物を残さない姿勢です。
学者として編纂を行っていた『皇居の植物』の記述に関しても、そのつど侍従に確かめさせるのは植物学者だから当然なんですが
コレがそれ以外でも見受けられたのが、大変興味深いことだな、と。
例えば…こんな記述があります。
午前十時過ぎ、宮殿清掃日のため官殿へのお出ましがなく
吹上の侍従候所にいる鈴木侍従から庁舎の侍従室へ電話で、中村か樋口のどちらかにすぐ来るようにと御上がお召しであるという。
すぐ吹上に上がり、お居間に伺うと、わら半紙の四つ切りに書かれたお歌の下書きを示されながら、
「竹林に松があるかどうか見て来てほしい。
梅がないのはわかっているのだが、松が竹林のそばにあるかどうか、あっても離れていて近くにないならそれでも良いかと思うが。
とにかく、違っているといけないから、確かめてほしいんだ」と仰る。
下書きには、
『我が庭の竹の林にみごとなるすぎしはのこるまつうめみえぬ』
(これの改訂 梅と松のしるしの弟はやきえて竹と杉のこり世のあはれしる)
(46ページ)
一応、この短歌は皇居の庭の植物と昭和天皇のご兄弟のお印(皇族は必ず、このお印を持っている)をかけて
秩父宮(若松)と高松宮(若梅)は亡くなって、昭和天皇(若竹)と三笠宮(若杉)が生きている
という、いわばダブルミーニングを狙った御製です。
皇居の庭に御製どおり「梅と松がないか?」とわざわざおたずねになる所なんかは
ちょっと神経質に過ぎる気もするのですが、天皇が残す言葉に間違いはあってはならぬ、という
几帳面さを感じます。
ちなみに『皇居の植物』は昭和天皇崩御の後、平成元年に刊行されたのですが、執筆作業、校訂をご自身でも行われています。
執筆だけでも、かなりの大仕事だったのですが
天皇の仕事をキチンとこなしながら、書き間違いをしないようにと
常に確認する几帳面さ
また、その背後にチラチラ見える「天皇は間違ったことを言ってはいけない、書いてはいけない」という「綸言汗のごとし」の心構えが感じられて、すごく面白い本です。
この本も例によって絶版ですが、最晩年の昭和天皇のご様子を知るのに面白い一冊ですので、
ぜひ興味のある方はご一読ください。
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