「戦争の記憶を風化させるな」というムチャ振り

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75年前の1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されました。

今日、投下時刻の午前8時15分、一国民として黙とうを捧げて、ふと考えたのは

また『戦争の記憶を風化させるな』という定型句が出てくる時期になったな」ということでした。

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記憶を受け継ぐことは、「風化させる」のと同じ

私は昭和53年生まれですから、当然戦争の経験はありません。私の知る直接的な話は、父方の祖父との話がメインです。

ウチの祖父、生来身体がそんなに強くなく、兵役は不名誉の不合格。

兵士として従軍することなく、東京の大森で高所砲の製造をしていました。そういった経験から、東京大空襲や低空飛行をかけて機銃掃射してくる「グライダー」(米軍の双発機のことを祖父はそう呼んでいた)の恐ろしさは聞きましたが、

市井の一人間に過ぎなかった人物でしたから、細かい話はそんな直接的な体験がメインでした。

もちろん、話を聞いたのは小3くらいからで、今の私ならもっと微に入り細に入り聞いたでしょう。

しかし、その機会を逸したまま、祖父は私が19歳の時に永眠しました。

何が言いたいかというと、人はすべての記憶を下の世代に漏らさず伝えることはできない、ということです。そもそも祖父の体験を私が漏らさず追体験することなんてできません。

そうすると「残された数少ない声」を絶対化してありがたがることが「記憶の風化」予防に資する、ということなのでしょうか?

私は、そんな風にはとても思えないのです。

例えば、沖縄戦の塹壕でどういう目にあったか、広島の原爆でどのようなことが起こったか、そういう事を語り部の話で知ること自体は全く問題ないし、むしろ知っておくべきだと私は思うのです。

しかし、彼らや彼女らの言葉を一言一句を大事にするだけでは「語り部の記憶の劣化コピー」に過ぎないのです。

何しろ、我々聞き手は当事者体験をしていないのですから。

これこそ「記憶の風化につながりかねない」と思うわけです。結局「戦争はいけない」位しか残らないからです。

我々にとって大事なのは、「なんでそういう結論になったか?」を知ることなので。

後を生きる人間だからこそ、得られる視点を加える

じゃ、当事者でない人間は、なにをもって過去の出来事に向き合うのかということが大事になってきます。

当事者は否応なく立たされる場所は、いわばこの世界で起こったことの「その人目線」の景色であり、言葉を尽くしても完全再現は不可能です。

であるなら、逆にもっと視点を広げ一個人から一つの国へ、そして時間レンジをもっと広く取り、人の生涯より長い時間を考えることが大事なのではないかと思います。

イメージとしては、国民の一人ひとりではなく、もっと大づかみに「日本はなぜこのように歩んできたのか」ということです。

これについてだと、たとえば公文書や指導者の書簡、あるいは映像記録などが使える。

そこから、さらに「当時なぜ、そのように進んだのか」を他国との関係から読み解いていく。

残された資料を横断的に考え、どんな構造で、どのように相互作用をしたかといった

「岡目八目」的な視点を持っていくのが、後世の人間にとっては大事なのかなと思います。

難しく書きましたが、要は「世界史的な視野で、日本という国の歩みを眺める」というイメージです。

歴史関係に0対100はない

ここで、ポイントになるのは、日本という国、あるいは戦争相手国であるアメリカ、イギリス、中国、オランダなどを全くの善、あるいは悪ととらえて解釈してはいけないということです。

交通事故のように、相手があって事が起こる以上、0対100の構図はそう滅多に起こらない。

ただ、悪手はあると思う、その悪手を「どうして選んだかを善悪ぬきで読み解く」のです。

もちろん、私が日本人であるということは、ゼッタイに否定はできないんですが、プロセスをいったん、別の国を眺めるイメージでとらえていこうよ、ってことです。

最後に…「当事者には見えにくい全体像=歴史」から眺める

戦争の記憶が風化するということを「あってはならない」とするのは、よくメディアで多用する表現ではあるのですが、

現実的に考えれば、受け継げるのは常に膨大な情報のホンの一部であり、その記憶のほとんどが断片です。

そこで「当然風化する」を前提にして、当事者ではない視点から、いったん全体像を眺めてみるって視点が必要なんだと思います。

とは言っても、資料を渉猟するのはいかにもハードルが高い、という人におススメなのがマンガ。

小学館の『少年少女日本の歴史』は内容が専門家に精査されていて、しかも面白くて読みやすい。

また、能條純一の『昭和天皇物語』なんかも、現代にどっぷり漬かってる自分に刺激を入れられるのでおススメです。

この作品の主人公は、タイトル通り昭和天皇。しかし、歴史的な出来事で揺れる時、基本的に昭和天皇は立場上「見てるだけ」の役割を取らされます。

実際、そのルールを破って昭和天皇が自らの意思をハッキリ打ち出したのは

2・26事件と終戦の聖断だけで、

その他は、ずっと周りが色々やっているのを眺めるしかない立場を担うわけです。

明治の空気、大正の空気と、そして昭和初期の空気とストーリーは進んでいますけど、時代を経ることに変わってくる。

当時の日本は昭和53年生まれの私にとっても異質な世界です。

昭和天皇本人の視点から、私たちが当時の時代の流れを眺めたら…というイメージで読むと、色々学べると思います。

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