この記事では、門田隆将さんの『なぜ君は絶望と闘えたのか~本村洋の3300日~』をご紹介します。
私はハードカバーの時から、折りあるごとに読んでいますが、ページをめくるたびにこころに迫るものがあって涙が止まらなかったのを思い出します。
この事件は「被害者の人権」を強烈に問いかけた
本の内容は、光市母子殺人事件という事件の被害者の夫でもあり、父親でもある本村洋さんが、裁判を通じて、「少年法のカベ」の固さに比して、あまりに被害者に寄り添わない司法に対して闘い続けた様子を書いています。
私は裁判中、本村洋さんという人に興味がありました。
少年法の壁、司法の壁、そういったものを時に感情を抑えながらも果敢に立ち向かい、その扉をこじ開けた人物としてリアルタイムに見ていて強烈な印象を残していたからです。
また、犯人逮捕の時の危なっかしいまでに怒りを露にしていた姿が、
徐々に静かだが力強い怒りと理知的な行動に変化した様子を拝見するうちに、人間としてスゲーな、この人はと思っていました。
死刑制度を考える一冊
この本を読んでなにより、死刑制度というものの考え方が変わりました。
私は死刑制度はあって当然と思っています。 ただこの本を読む前は単純に「相応の報いを与える」という意味で死刑制度を支持していました。
しかし、もう一つ、刑罰には重要な意味があるという事を再認識しました。「犯罪者の更正」という一面での死刑です。
死にゆくものに更正は必要か…私は必要だと思います。被害者の遺族が少しでも慰められる為には、処刑そのものももちろん大事かもしれませんが、そこに「被害者に申し訳ない」という死刑囚の心が一片でもなかったら片手落ちになるという事です。
そして、悲しい事ですが、理不尽に命を奪われるという体験をすることによって死刑囚も自分の犯した罪を悟り、転じて被害者への思いが芽生える事もあります。
それが人を裁いて命を奪うという「死刑」の究極の意味かもしれません。
ネタばれになりますが、被告の少年もどうやら、その境地に達したようです。
判決後筆者との面会で見せた姿には明らかに「変わった」と感じさせる何かがありました。
ここは、私があえて話すべきではないと思います。ぜひ、本を手にとって実際に読んでいただきたいと思います。
被害者の家族は永遠に「かわいそうな存在」でい続けなければいけないのか?
この本では、家族を失った悲しみで会社を辞めようと思った本村さんが、「社会人として生き、権利を主張することの大事さ」を問う場面があります。
家族を非情な犯罪で失った「特別な立場」でい続けても、自身の生き方が幸福になってはいけないみたいな、縛りを受けることになるから、この上司の言葉はホントに正しいと思います。
その後、本村さんは現在再婚されていますがそれが明らかになった時に、妙に批判的というか、そういうコメントが多かったことも思い出しました。
しかし、そりゃ本村さんが悪いわけじゃない。直接関係のないこちら側が「被害者の家族は家族を失った悲しみを背負って一人で家族を想い生き続ける」という「かわいそうイメージ」の人間を願いつづけるようであまりに勝手な理論だな、と。
そうやって、孤独に苛まれ地獄の底を歩き続ける生き方より、亡くなった二人を常に胸に刻みながら、事件で傷つき壊れかけた自分を再生し、常に自分を支えてくれた人と新たな人生を生きなおすというのは、大事な事だよなぁ、と思います。
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