この記事では、昭和天皇初めての新幹線体験を書いていきます。
東海道新幹線は1964(昭和39)年10月1日に開業しました。
そして、その約半年後の1965年5月7日、鳥取での植樹祭参加のために
昭和天皇は初めて、新幹線をご利用になりました。この時は一般客と同じ列車に乗る「混乗」で、これも実は初めてのことでした。
車内で「運転台が見たい」と言った昭和天皇
その出来事は小田原を過ぎた頃に起こりました。
侍従が「陛下が新幹線の運転台を見たいそうだが」と言われたのです。
その話を聞いて、同乗していた新幹線支社長(当時)の加藤一郎さんは「規則では立ち入り禁止だけどOKを出した」と語っています。
ただ、走行中に何かあったらいけないので、運転士にスピードを落として運転するように指示を出したうえで、ご乗車の3両目から移動しました。
すると運転席には「たまたま」補助用の折りたたみ椅子が。
加藤支社長は引用元(『週刊文春』昭和50年10月9日号)ではすっとぼけてますが、昭和天皇が運転台においでになる事を見越して、事前に準備していたと思います。
というのも、天皇が人に会うときは「たまたま」を装って…というのはよくあることで、この時も「たまたま」のフリをしたんだな、ココは絶対何かしらの話が事前に通っていたと確信しています。
しかし、当日担当した2人の運転士はそんな話一切聞いてなかったらしく
運転席に普段ない予備の椅子に「本社のお偉いさんでも来るのかなぁ?」くらいに思っていたら、まさかの陛下のおなりにビックリしたそうです。
運転士「あ、そう」を何回言ったかカウントする
運転台に到着すると、加藤支社長が説明役、運転士は前方に注意を払いながら時速200キロを維持しています。
運転していた片倉稔運転士に「(前を見続けるから)疲れるだろう」とねぎらいのお言葉をかけて様子を見学しました。
加藤支社長は「陛下は新幹線の運行システムに詳しかったですね。『CTC(総合指令所)から新幹線をリモートコントロールして運転士は座っているだけなのか』といった専門的な質問もされていた」と証言しています。
もう一人の榎本光良運転士は、ハンドルを握っていない分、別のことをする余裕ができて
「昭和天皇は『あ、そう』というそうだけど、何回言うかカウントしてみよう」といたずら心に思い立ち、職務に抜かりのないように注意しながら数えたら「40数回はおっしゃっていた」とのこと。
予定を超過してもワクテカで、見学時間を5分増やす
この見学、当初は15分間、浜松から蒲郡くらいまでの50キロ区間を予定し、時速200キロの運行を予定していたとのこと。
理由は「岩盤が安定して、コースが真っすぐだから」。この話でも、絶対前々から話が通っていたとしか思えませんよね。
しかし、本当のハプニングはここから。
なんと昭和天皇、余程新幹線に興味津々だったのか、当初の予定の15分では足りず、さらに5分熱心に見学されていたこと。
さらに5分間、時速200キロを維持していた新幹線は、このままだと早く着きすぎるので
途中で上手に減速して、定時に到着するのに結構苦労したんだとか。
御製で新幹線を詠んで「おしのび見学」がバレバレに
さて、この「昭和天皇の社会科見学」は実は内々に行われて、公表されることのない逸話で終わるはずだったそうです。
ところが、話は意外なところから漏れてしまいました。
他でもない、昭和天皇ご本人が、和歌の中でうっかり詠んでしまいこの話が表に出ちゃったからです。
この時を詠んだ御製は2首ありました。
『四時間にて はや大阪に 着きにけり 新幹線は すべるがごとし』
これは、往時に東海道線に乗って13時間かけて移動したことを思い出しながらの一首でしょう。問題はもう一首の方で
『避けえずに 運転台に あたりたる 雀のあとの まどにのこれり』
開業当初から、鳥が新幹線を避けきれず、窓にぶつかることが結構あったそうですが、どうやらご見学の際にも同様の出来事が起こったらしい。
昭和天皇は、文明の進展にも興味がありましたが、生物に対するご関心も人一倍強いお方でしたから
新幹線技術に目を輝かせながらも「かわいそうだな、どうにかならないものか」と新幹線にはねられた鳥のことも思いを寄せていたのかも知れませんね。
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