昭島市が発行した『八高線衝突事故』の冊子を買いに行く

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昨日一日は、精も根も尽き果てていたのですが

今日は何とか動けそう。そこで、一昨日から存在が気になっていた

八高線衝突事故の資料を買いに、東京都昭島市まで車を走らせました。

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八高線多摩川橋梁衝突事故とこの冊子の関係

と、言ってもよほど鉄道事故に詳しい人じゃないと、この事故は知らないと思うので

一応ご説明しますと、

1945(昭和20)年8月24日に、今のJR八高線で起こった機関車同士の正面衝突事故です。

単線だった八高線で隣接する、拝島駅と小宮駅の間で通信手段が使えなくなり、

やむなく駅員を派遣して鉄道を運行しようとしたのですが、

連絡の行き違いで上下の列車が両方発車してしまい、多摩川にかかる橋の上で正面衝突しました。

犠牲者は105人とされていますが、折あしく「豆台風」の上陸で豪雨が続いていたため

多摩川に放り出された乗客は、濁流に呑まれてしまい今でも正確な数が分からず

終戦の9日後のため、新聞報道はベタ記事扱い。

ラジオは停波していたこともあって

人々の記憶から早々に失われた「まぼろしの大惨事」となりました。

ちなみに、この事故を撮影した前掲の写真は、37年後の1982(昭和57)年に撮影者が公表したことで、一時的に注目され

この事故を扱った唯一の商業出版『大列車衝突の夏』が1985(昭和60)年に出版されたものの、

その後は再び、注目されずにいたわけです。

それが、2020(令和2)年になって地元である昭島市教育委員会が、その後の内容も追記してまとめた、

事故報告書『追跡!まぼろしの八高線衝突事故』を500部出版。

再びこの事故がニュースとして話題になりました。

昭島駅北口の『昭島観光案内所』で冊子を一発入手!

で、国道16号をぐるーっとめぐり、埼玉から事故報告書の取り扱い場所のひとつ

昭島駅北口の『昭島観光案内所』に向かいます。

お店に入ると、右手に教育委員会が発行した冊子の見本がありまして「これかなぁ」と見てみると、店員さんが

「何かお探しですか?」と声をかけてくれました。

「教育委員会が発行した、八高線の事故報告書、まだありますか?」と尋ねますと

「キレイなものがありますよ」と店の奥から一冊持ってきてくださいました。

追跡!まぼろしの八高線衝突事故第二版

驚くことに、第二版になっていた!

表紙を見ると、左下に「第二版」と書かれています。

この手の教育委員会の出版物というのは、初版も捌くのが難しいほどマイナーなので、少な目に作ってなるべく売り切る方針なのです。

なもんで、私も「何軒か取り扱い書店を回って、一冊手に入ったらラッキーだな」と思ってました。

それが、どうも先般の新聞報道でこの冊子に注目度が集まったらしく

一昨年の2020年11月1日に初版500部を発行したものの、

あっと言う間に完売したらしく、2か月後の2021年1月5日に第二版で500部追加で印刷

さらに初版発行から一年後の2021年11月1日に、さらに500部が追加となるなど

異例の売れ行きになったようです。

お店の人にその辺の事情を尋ねたら

「ものすごい売れましたよ。私もこの本を読んで、こんな事故があったんだと初めて知りましたから」と少し興奮気味に話しておられました。

事故現場の今の様子を見に行く

というわけで、午前中いっぱいを予定していた探書ツアーは、一軒目であっけなく目的を達してしまったので、

せっかくここまで来たんだし、と

事故現場の八高線多摩川橋梁を見に行きました。

多摩川の河川敷は現在、市営のくじら公園として整備され、川床から2003(平成15)年に事故車両の車輪が引き上げられ、事故の案内板とともに堤防の上に設置されています。

車輪の前の献花台に、花が手向けてありました。

事故の概略が記された案内板も設置されています

案内板には

太平洋戦争終戦からわずか九日目の昭和二○年(一九四五)八月二四日午前七時四○分頃、

ここ八高線小宮・拝島間の多摩川鉄橋上において、

上り下りの旅客列車が正面衝突し、少なくとも一○五名の方々が衝突による衝撃、あるいは多摩川の濁流に流され死亡する大惨事が発生しました。

日本鉄道史上でも有数の重大事故であるといわれています。

救助には、地域の警防団(現在の消防団の前身)消防団や住民があたりました。

この事故は、折からの豪雨の中で発生したもので、犠牲者の多くは終戦とともに故郷に向かっていた復員兵や疎開先から自宅に帰る人々でした。

鉄橋付近から発見された二対の車輪は衝突車両のものと思われ、事故を後世に伝えるため設置しました。

平成十六年三月
昭島市・昭島市教育委員会

と記されています。

ついでなので、くじら公園の駐車場の奥から多摩川の川べりに降りてみますと、

同市のイベントで、化石の発掘イベントをやっていました。

後ろに見えるのが事故現場の八高線多摩川橋梁です

市の職員の方がひょっこり現れた私が「何をやってるんですか?」と尋ねたら

やっぱり不審人物に見えたのか、ちょっと怪訝そうな表情でイベントを教えてくれました。

私が買ったばかりの冊子を持っているのに気づくと、すぐに納得してくれたみたいで、イベント会場に展示されていた、貝の化石なんかを見せてくれたり

ホタテみたいな貝や、巻貝の化石などがありました

上の公園の名前の由来にもなった、アキシマクジラの化石の発見ポイントなんかを教えてくれたりしました。

なんでも、この辺からは今でも、貝の化石とかが見つかるんだとか、

参加者が集まってるところにヒョッコリ顔を出してみたら

シジミ大の二枚貝の化石を見つけた方がおられましたね。

冊子を読んだ感想

で、帰り路にちょっと寄り道して、そこで小冊子をザッと読んでみたのですが

『大列車衝突の夏』が事故の当日を詳細に描いているのに比べて、地元自治体の強さで

さらに、事故の資料、目撃者や体験者を根気よく掘り起こし、資料に残そうという心意気を強く感じました。

その結果、従来105人とされていた死亡・行方不明者の数が126人に修正されることになりました。

その過程で従来では地元昭島市の犠牲者はいないとされていたことが

事実と異なっていて、やっぱり犠牲者がいたことを見つけ出すことが出来たのもやはり大きいと思います。

さらに、川床に眠っていた事故車両がその後業者に掘り起こされて売り払われた話、

それでも残っていた車輪車軸部分を、行政がどのような手続きを経て、くじら公園に設置したのかまで、詳細に知ることが出来て、良かったなと思います。

こういった「負の記憶」って、意図的に記録に残さないと失われて、教訓にもならなくなりますし

今を生きている我々は

先人がどのような苦難を乗り越えてきたのかということを知る必要があるのではと思います。

そんなわけで、同市教育委員会のこの事業は、一列車事故の調査報告という範疇にとどまらず、我々の今後の歴史にも、重要な資料を提供してくれたと、ブログ主は思った次第です。

*ちなみに同書は通販でも購入できます。詳しくはコチラから。

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