『肉声 宮﨑勤30年目の取調室』から読み解けること

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この記事は、安永英樹さんの『肉声〜宮﨑勤30年目の取調室』という本を読みながら、

犯人の宮﨑勤の人物像を読み解き、当時の世相も回想してみようかな、と思います。

私は当時小学5年生でした。同世代より上の方だったら誰しもが衝撃を受けた大事件でした。

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今さらですが、宮﨑勤事件とは?

昭和から平成にかけての一年あまりで、埼玉県、東京都で4人の女の子が姿を消しました。

幼女宅に遺骨を送りつけたり、新聞社に「今田勇子」名で犯行声明をするなどしたことから、事件はマスコミでも取り上げられて大騒ぎになりました。

先ほども述べたように当時は小学校高学年でしたが、事件が起きた埼玉県内ということもあり学校は児童を集団下校させました。

被害者宅に近かった友人(当時は所沢市在住)は被害者と似た歳(4〜7歳)の妹が未だに捕まらない犯人の毒牙にかかりはしないかと不安で仕方がなかったといいます。

翌年の平成元(1989)年に別件の強制わいせつ事件で現行犯逮捕された宮﨑勤が一連の犯行を自供しました。

逮捕された後、彼の自室がマスコミで報道されました。

ビデオテープが山と積まれた宮﨑勤の部屋。今なら全部デジタルアーカイブになるでしょうね。

部屋に所狭しと詰め込まれたビデオテープやマンガ本が大々的に伝えられ、

その中から被害者を映したとおぼしきビデオテープが見つかったことからさらに報道は加熱。宮﨑勤=オタク、としきりに煽られました。

裁判が始まると、「ネズミ人間がどうたらこうたら」と言い出したり、遺体を食べたなどのショッキングな話が飛び出し「コイツは頭がどうかしているのでは?」と精神鑑定が行われました。

結局、2006年に死刑が確定。2008(平成20)年に刑が執行されました。

精神鑑定中であったこともあり、死刑執行は様々な物議を醸したそうです。

僕らは宮﨑勤をどう見ていたか?

先程もちょろっと書きましたが、当時盛んに喧伝されていたのが

宮﨑勤=オタクでした。

彼が好んでいたホラー映画やロ〇〇ンもの(実はアニメや特撮、テレビCMの方が圧倒的に多かった)の悪影響についても盛んに取り上げられて、

「現場の〇〇◯です」で有名な某レポーターがコミケを取材した際「ここに10万人の宮﨑がいます!!」と言い放った話は有名です。

そんなわけでオタク=他者との関わりを持たずに自分の好きな世界に没頭しているアブない奴、というイメージができました。

みんながみんな、そうじゃないなんて当たり前のことなんですが、当時の「良識ある」大人たちはそう信じてました。

個人的被害?からすると…私は中学生の頃からパソゲーにハマっていたのですが、これもアブない趣味の1つと見られたりもしました

(プライベートタイムにウィザードリィや三国志Ⅱをやってることのどこがアブないんだか、当時のクラスメートの〇〇君に今、小一時間問い詰めたい)。

ウィザードリィで「手っ取り早いレベル上げモンスター」として重宝されたマーフィーズゴースト様。「ゲームでシリアルキラーが作られる」なら、何万匹もマーフィー君を屠った僕なら、どこに出しても恥ずかしくない殺人犯に育ったはず。ちなみに現在はしがないサラリーマンです。

裁判が始まったら始まったで、「アタマのおかしい奴」という話しか出てこない。気がついたら、死刑が執行されていました。

じゃ、実際はどうだったのか?

宮﨑勤のことなんかすっかり忘れ、日々の仕事に多忙を極めていた時、たまたまSNSの読書グループでこの本が紹介されて、僕も購入した次第です。

この本は当時取調室で録音されたテープを文字起こしして、取調室内の様子を再現し、合わせて関係者の証言を盛り込んであります。

読んで思ったのは、異常なのは性格というより人格的なもの

とにかく、自己中心的で相手のことを一切省みないこと。それと極端な負けず嫌い。一つの作品にのめり込むと、全話コンプリートを目指すようなタイプ。

一方人間関係を築くことが苦手で、友人を作る、異性と関係を持つこと、それ以前に正常な社会生活を営むことが極端に不得手なんです。

…オタクってみんなそうじゃね?という方!僕自身、勉強オタクですけど違うわい!

オタクだって1人の人間ですから、共通の趣味や話題なら問題ないし、むしろ趣味を離れてもフツーの人の方が圧倒的に多いですよ。

彼は仕事をして自分の生活を営むことすらできない。仕事をしてても挨拶1つしないし、仕事を勝手に切り上げて帰ってしまうこともあったそうです。

マニア同士のやり取りでも同じで、YouTubeのない当時、お互いのビデオコレクションをダビングして交換する、ということが行われてたのですが、

相手のコレクションを先にもらっておいて、自分はやらない、なんてこともしていたみたいです。

だからいわゆる「同好の士」ともトラブルが絶えず、出禁を食らうこともあったようです。

取調室の宮﨑勤は少なくとも頭はおかしくなく、自分の犯行を隠そうとしたり、自分の刑が重くなるのを恐れたりと、至って普通の姿が浮かび上がってきました。

そして、幼女に手を出した理由も「大人の女性にアプローチできない」という劣等感から(成人女性も盗撮していた)。

いわゆる代償行為というものです。

そのことが、取り調べで徐々に明らかになっていきます。

裁判では取り調べ段階とは一転して、前述の「世迷言」の連発。しかし、取り調べ段階の流れを読んでいると、精神疾患からくる犯行とはとても思えませんでしたね。

子どもの頃あれほど大騒ぎになった事件の犯人ですから、とてつもない怪物のようなイメージを持っていた僕からすると、呆気にとられるほど平凡でひ弱な存在。

残酷な犯罪をしでかしながら、犯行の発覚を恐れ、少しでも罪から逃れたいという、卑劣な思考を巡らせるその姿こそ、彼の真実の姿だったのかも知れません。

精神鑑定は無意味か?

この事件の後、幾多の裁判で精神鑑定がなされるケースが増えてきました。

今、精神鑑定が法廷戦術の1つとなっている部分も多いですし、無意味とも思えそうな時もありますが、それでも精神鑑定が必要だと思えるケースがあるのも事実です。

一例は、2001年に発生したいわゆる「レッサーパンダ帽男殺人事件」です。

事件当時は特異な経緯からセンセーショナルに取り上げられていたのですが、犯人の自閉症が判明した直後からパッタリと報道がやむという過程を経ています。

この事件の場合だと、犯罪者を裁くというのは一時の報復感情を満たすものではない、というのが僕の中での考えにあります。

結局この裁判も「ちゃっちゃ」と粗暴犯として処理され

犯人が何を考え、どうして犯行に踏み切ることになったのかも、そもそも彼が自分の犯行を理解しているのかすら全くほったらかしになりました。

私からすると、

「テキトーな枠にはめて一丁あがり」ではなく、類似する犯罪を社会としていかに防ぐかという、予防的な教訓を引き出すための場であってほしいとも願っています。

そのためには、犯人の精神的病理を知り、そこからどうやって教訓を引き出すか、というのも、

司法の重要な役割なのではないか、とも思うんです。

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